かるまるこ

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのかるまるこのレビュー・感想・評価

3.4
 ブラピとプリオのチルな日常系ハリウッドライフ。
 「あーそっち行くんだ」という感じ。映画のトーンも、ラストも(ラストは意味違うけど)。
 驚くほど何も起こらない。ラストまでは。仕事に行って帰るだけ。それを何度か繰り返す。なので物語の推進力は恐ろしく低い。ポップコーン必須。良く出来たポップコーンムービー。悪くいえば冗長。
 ジーンズとアロハと車とドッグフード・・・CMかと思うほどブラピが恰好いいのでなんとか間は持つ。
 あとディカプリオが期待通り女々しい。落ち目を自覚し、怒り、嘆く。 タランティーノが自分自身を投影してるんだと思ったら悲しくなった。
 ただ感情のフックはこれくらいで、ブラピに至っては飄々としすぎて何考えてんのかわかんない。
 そんな二人が二時間以上だらだらずっと駄弁ってる。そんな映画。
 
 何度も脚本賞獲ってるけど、やっぱりこの人あんまり脚本上手くないと思う。
 確かに会話は上手い。レザボアッドクスのマドンナとチップの話とか、パルプフィクションのビッグマックはフランス語で何て言うかとか。生のセリフな感じがする。説明ゼリフを恐ろしく嫌うというか、たぶんそこは本人ずっとこだわってきたんだろうけど、それだと余程技術がない限り物語が必然的に長くなってしまう。
 
 今回も要らないシーンが多々あるし、必要なシーンでもカット尻が長すぎる。それを全部削ったら少なくとも二時間以内には収まる。
 そしてその分で是非、冒頭にシャロン・テート事件の歴史的事実の説明を入れて欲しい。
 そうしないと、事件までの日常の裏に潜ませた不穏さが十分に機能しないし、ラストの選択から垣間見えるタランティーノの優しさが多くの人に伝わらなくなってしまう。
 更にいえば、この映画は「もしもポランスキー家の隣にこんな奴らが住んでいたら」というお伽噺であり、パラレルワールド物といってもいい。 とするならばやはり、その準拠点(シャロン・テート事件)を明確にしないと観客が混乱する。
 こんな酷いことが実際にあったんですよと。
 それも何もなくあのラストだとただの過剰防衛だ。だってあの世界線では彼らはまだほとんど何もしてないのだから。
 
 キルビル以降ずっと復讐譚を扱い、正義なら何やってもいいでしょ的なノリ(それもどうかと思うが・・・)で大好きなグロ描写をする。それが近年のタランティーノの手法だが、すでに悪事を働いた者と、これから悪事を働く者は違うと一言いっておきたい。

 本当はもっと低い点を付けようと思ったけれど、何故か嫌いになりきれない不思議な映画。身を乗り出して観るタイプの映画ではないし、一言でいえば退屈なのだが、何処かかわいらしく、愛おしい。
 
 何故そんなふうに思うのだろう。
 
 たぶんそれは、タランティーノにしてはお行儀が良い(車で来て酒飲んだ後タクシーで帰ったり、未成年に年齢確認したりする)からとかそんな理由ではなく、そこに彼の人となりが一番よく現れていたからだ。
 これはタランティーノのプライベートフィルムなのだ。
 彼のフィルモグラフィーの中で最も個人的な映画。
 
 彼自身が身を置くハリウッドショービズ界の栄枯盛衰。
 ハリウッドは残酷だ。
 持つ者と持たざる者を選別する根拠に乏しく、またいつそれが覆るか誰にもわからない・・・。
 落ち目の俳優。仕事のないスタントマン。駆け出しの女優。ミュージシャン志望だったヒッピーの教祖。
 この映画の登場人物は、スティーブ・マックイーンやブルース・リーなど一部のスターを除き、皆、持たざる者の側にある。
 そこに乱反射するようにタランティーノの自我が投影されている。
 シャロン・テートのように薔薇色の未来を夢見た時代があっただろう。 マンソンのように未来を閉ざされたと感じた時期もあったはずだ。
 そして今、彼が最も共感するのが、ディカプリオ演じる落ち目俳優であり、最も憧れているのは、ハリウッドという残酷な世界で、屈託なく生きるブラピ演じるスタントマンの姿なのだ。
 
 かつての情熱や才能も枯れ、とっくにピークは過ぎたと自分自身に突き付けてもなお、ハリウッドへの愛を宣言するタランティーノを嫌いになれるはずがない。

 
 
 
 
 
 
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