SatoshiFujiwara

ひとつのバガテルのSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

ひとつのバガテル(2015年製作の映画)
4.0
『わたしたちの家』より2年前の清原惟作品だが、これまた実に惹かれる、と言うか好きですこれ。学生映画的な雰囲気が濃厚だし(実際そうなんですが)、役者はヘタ(主演の女の子なんかうっかりカメラを見ちゃってるのがまんま映ってるし)、妙なカットが紛れていたりもするが大した問題ではない。『わたしたちの家』が古民家ならこちらは巨大な団地というトポスに漂う妙な磁場が主題となる。発信者不明の手紙が何故か主人公の女の子、あきがよく行く八百屋のおじさんから手渡され、そこにはあきが住む団地内の棟番号が記載されており、そこに行けばピアノをあげます、とある(確かにあきは終盤ピアノに辿り着くのだが…)。あきは友達とその部屋を探すが、しかしそんな棟も部屋も存在しないことがじきに判明する。この迷宮的感覚はまるでリヴェットの『北の橋』のようであり、清原惟はよくある場所をまるで異界のように描く欲望に取り憑かれているのかも知れない。

現実よりもリアルな、ある意味でミュジック・コンクレートのような音響は音自体の即物性を否応なく際立たせ、薄暗い団地の部屋を真横に移動するカメラは、明らかに非人称的な動きにも関わらずそこに得体の知れない何者かの視線を感知させ、偶然団地内で出会った男にはあきが大量に買い込んだ林檎をピッチャーよろしく放り投げ、男は当たり前のようにそれをバットでノックし続ける。あきの友達の女の子は自転車にラジカセのようなものをくくりつけ、そこからは必ずバッハのブランデンブルク協奏曲がかかっているのも不思議なら、あきのアルバイト先の名曲喫茶の2階では胡散臭いインテリ風の男が助手と共に聖人の活人画のようなものを作成している(ゴダールの『パッション』を思い出す)。あきが同居するババアは気味が悪く(妙に着飾って夜になると出掛けるのも何だか分からない)、公園にはミュージシャンとダンサーがいて奇妙な踊りを踊る。

設定が奇妙なだけじゃん、とは言えようが、こんな奇妙さを作り出せるのが才能なんじゃあないか。そして、それは実に魅惑的である。これが重要だ。

(音楽について)名曲喫茶でのあきの仕事は、似非インテリ監督の指示するイメージに従って活人画の撮影時にそれに相応しいクラシック音楽を流す、というもの(これ自体なんじゃそりゃだが)。ここでの選曲が清原惟のチョイスなのかは知らないが、シューベルトの弦楽五重奏曲、フランクの交響曲、バッハのマタイ受難曲(ちなみに受難曲は英語で「Passion」。先にゴダールの『パッション』に言及したが、そこまで考えた可能性もありうる)。そして、あきが間借りしている部屋の家主たるババアの息子が掛けるレコードがベルクのヴァイオリン協奏曲。特に天国的なシューベルト、快活なフランク、そして破滅的なベルクの組み合わせの妙。作品名の元であるベートーヴェンの『6つのバガテル』もまた意味深く、この作曲家の作品にしては肩の力が抜けていて不思議な無重力感があるのだが、映画内世界と見事にシンクロしている選曲のセンスもまた卓越している(余談だがペドロ・コスタに『6つのバガテル』なる作品がある。未見だけど。ベートーヴェンに関係あるのかは知らない)。ベートーヴェンではあきがピアノ・ソナタ第31番の第3楽章を少しだけ弾くシーンもあった。
SatoshiFujiwara

SatoshiFujiwara