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I am Sam アイ・アム・サムの555のレビュー・感想・評価

I am Sam アイ・アム・サム(2001年製作の映画)
4.2
今さらにこの名作を気が引けますが、やはり素晴らしい作品だと思うのでレビューを。

知的障害の為7歳児の知能しかもたない父親・サムが養育能力が足りないという理由で愛娘のルーシーと引き離され、裁判で養育権を取り戻そうとするストーリー。(大まかですが)

私も職業柄本当に考えることがあります。障害がある方が子どもをもつことについて。
やっぱり心配な訳ですよね。周囲からみると。

...とても冷徹で差別的な意見かもしれませんが、知的障害のある方がよく考えずに子供をつくり、妊娠やその対応に気づかぬ(わからぬ)ままに、産むという選択肢しか残らず、子供をもつことが現実としてある訳です。
(本作ではサムはホームレスの女性を妊娠させ、ルーシーが産まれた直後に母親が失踪し一生懸命にルーシーを育てています。)

・ ・ ・ ・
ち ゃ ん と 育てられるか?

障害がある親に育てられることは子供のためになるのか?

やはり考えてしまうんですよね。
でも本作を見て(もちろんこれが全例ではないと思いますが)
そこに確かな愛情があるならば、やはり親子は一緒にいるべきだとひとつ私なりの答えを出してくれた作品でもあります。

本作はサムのルーシーへの愛情はもちろんですが、父親の知的障害の有無に関わらずルーシー自身が父親のそばにいることを心から求めてました。
作品を見る限りではルーシーはとても賢い子です。恐らく引き離されなくても、父親を守るように成長していく未来もあったでしょう。(ただ、他の子と比べてどのようになるかはわかりません)

今回の養育権の剥奪の主点は【養育できるほどの知能がない】というところです。
父親より子供が賢くなっていく。
それで育てられるはずがないだろうと。うーん、、難しい。現実この親子2人きりの世界をつくってしまったらきっと困難な壁に当たっていたかもしれない。
ただ屁理屈を言うと、世の中には親より圧倒的にIQの勝る子や、精神年齢が高い子供もいるがその親はその子を養育できないことになるのか?と。
(論点がずれるているかもしれませんが)
◯◯ができたら子供を育てられます、◯◯ができないなら子供は育てられませんという決まりや境目は全くないのです。
上記に書いた
ち ゃ ん と 育てられるかの?の
「ちゃんと」とはなにか?
全く曖昧です。恐らく子供に教育を受けさせ心身ともに健康に育てることが大義だと思いますが、、、
それはサムはルーシーに与えていました。それでも児童福祉局や検事、裁判所は良しとしなかったのです。確かにルーシーの健やかな成長を守ることを前提にしていたと思います。ただ、ルーシー(子)の健やかな成長にはサム(親)が必要不可欠なわけですよね。
これは本当に難しい問題だけれども、本作は結果として里親や弁護士などたくさんの支えによりこの問題を解決しています。
要は誰かの理解と助けがあれば親に障害があっても子供は健やかに育つということです。
、、、あれ、これは健常者による子育ても全く同じでは?
知的障害があるから子供を育てられないとするのは全くナンセンスな気がしてきました。

作中でも美人で頭が良く完璧な弁護士であるリタが子育てにとても悩んでいます。
サムのような真っ直ぐな愛情を子に与えられず、サムとルーシーのような温かい関係はなかなか築けていません。親の知能と親子関係の良さは比例しないことは明らかです。
リタもそれが身に染みる程わかり、真っ直ぐな優しさや愛情をもつサムを尊敬するようになったんだと。


ひとつの作品で色んなことを考えさせられます。
ただの感動作ではありません。
私が最後に考えたのは
「本作はルーシーが本当にサムのそばにいたいと願っていたけど、子供が親を愛していながらも障害を持つ親をやはり不適切だと考えるようになった場合、、、果たしてどんな結末だったのか」ですね。
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