鶏のまにちゃん

ゴッズ・オウン・カントリーの鶏のまにちゃんのレビュー・感想・評価

4.6
悲恋でもなければ聖人でもない男二人の恋愛を描いた映画、存在に感謝するしかないよな。
おそらくそう数が多くもない友達にことさら自分が不幸でものを分かっているようであるかのように振る舞い、初対面のゲオルゲを侮辱して怒らせ、祖母や父に無言と反抗的な態度で迷惑をかけながら、己の境遇を憎み、未来の暗さと閉塞感を酒で紛らわせる虚しい人生に差し伸べられる、力強く辛抱強く誠実な愛、サイコー

山の上での二人きりの日々を終えて、父が再び倒れるまでのつかの間の蜜月において、自らをうまく律せてないジョン。祖母に勘ぐられても、トレーラーにいくなんて嫌でも、そんなのどうでもよくなっちゃって心を開いてしまっている。トレーラーで、ムスッとしてたジョンが、ゲオルゲにキスされて、あっという間に官能を掻き立てられてるのは可愛かった。どこかボーッとした熱に浮かされたような顔がすっとフェードアウトしていく。山の上では二人とも、まるで暴力を振るおうとするかのように乱暴だったのに。ピロートークなんてありえなかったのに。
ピロートークといえば、「君の言葉で牧場はなんて言うの?」と尋ねることそのものが、肉体やセックス以外の部分でのゲオルゲに対する好意と興味の現れだよね。
そういえば、二人が心通い合ってからはセックスの片鱗しか見せてもらえないよね。コンドームとか。前戯のキスとか。あれ、彼ら以外の何物も、その光景を知ることはない、という宣言のようで興奮しました。
トイレでの情事は足が見えたし、冒頭のジョンの乱暴な関係はあからさまだった。山の上ではフェラチオまでだしそれはまぁ愛というか欲だし……私の記憶が確かなら本当に見せてもらってないと思う……

キスもハグもなく罵倒だけしてたくせに性欲をぶつける蛮勇だけはあるジョン、あれキスで初めるとか、誘惑するとかそういう経験がなかったからのような気がする……ゲオルゲがキスしようとしたら拒否したのには驚いたもの、戯れならそれくらいはするかなと思ったんだけど、キスを拒否するとなると、逆にキスに感じて一筋縄ではない気持ちがあるということじゃん……
手のひらの様子を強引にでも見てくれる人、もうあの家にはいなかったんだろうなぁとか思うよ、キスをしたり、指で手を撫でたり、そういう官能をゲオルゲからどんどん学ぶジョンはめちゃくちゃに可愛かった。
ジョンから仕掛けた最初は痛々しいようなものだったけど、ゲオルゲは優しくそこに至るまでの官能をね…教えていったね…

しかしとにかくジョンはゲオルゲに甘えてるよね。ラストの方で特に顕著だと思ったんですが、ゲオルゲは木のようにまっすぐどっしりと立ち、それに寄り添うように、甘えるようにジョンが寄りかかるんですよね…。母はおらず、父は頑固、多分祖母も同様だったんだろう、甘える人のいなかったジョンの前に現れた愛なんだよな、ゲオルゲは!!
あ、ラストの告白のシーンで言うと、ジョンが羊の話をしたりして、勇気を出さず自分を投げ出さないのを、ゲオルゲは実に辛抱強く待って促していたと思う。「何か言うことはないのか?それだけか?」って。勇気を出して「それ」を言うのならチャンスはあるよということだったのだと思う。めちゃくちゃ甘やかしてんじゃん!と思うけど、ジョンは多分20そこそこだよね?まぁ、ゲオルゲとは人生経験の厚みが違うんだよな…
そもそもジョンはズーーーーッと感じ悪いんだよね、ジプシーと呼んで侮辱したり、差し出された手袋だけじゃなくて、なんの気ない会話の糸口も何度も無視してるし。
でもゲオルゲはそれでもって失礼な態度を返したりはしないという。威嚇はするけど、決してコントロールを失って戻れなくなったりはしない。
彼の辛抱強さや慈悲深さは、ジョンが早々に諦めてしまった羊の子供のエピソードによく現れてますね。ここは冒頭のジョン親子と牛の出産との対比が生きてて最高。閉塞感の中で生きる孤独と諦念ジョンとその家族たちに対して、失った牧場と祖国への悲しみを乗り越え、次を見据えて生きるゲオルゲの力強さの対比。

牛の出産でいうと、「ジョニーボーイだよ」といいながら、牛の背を優しく撫でるシーンは、後半ゲオルゲに心を開くまでの間で、唯一の笑顔が出たシーンではないですかね?あそこで、「苦しくてもあそこで生きるのは牧場の仕事が好きだからなんだな…」ってわかったよねぇ…

祖母にゴム見られたシーンはヤバかったですね。あれゴミ箱に捨てるんじゃなくて便器に捨てるところに、「一刻も早くここじゃないところに行って欲しいナニカ」感がありヤバかった。忌避感というか。
でも多分祖母は受け入れるだろう、ジョンが諦めずに前に進もうとしているのは、彼を幸せにするのはゲオルゲであることは明らかだもの。お父さんが「もうこういう風に生きていくことはできない、変わらずにはいられないんだ」を受け入れる時に「それで幸せになれるのか?」と返したのは、明らかに、愛でしたね。あそこでお父さんが微笑んだのは。愛でしたね。
そして、お父さんが「フェンス直したのは偉かったな」といった時、ジョンは特に何も言わなかったけど、あれゲオルゲとやったことだし、絶対あの時のこと思い返してゲオルゲが恋しくなったでしょ……

祖母の洗濯物干しの後景で父さんが倒れるのはわかってたけど、祖母が「今いく」と言いながら祖母なりの全速力で向かっていくのを見て、なんというか、苦しみを感じたね……
こういう人たちに家事と収入とその他こまごまとしたことすべてを「頼られる」という現実、うまく受け止められずに連日酒浸りしたりするのはわかるわ……

二人の前途を考えると、ゲオルゲはまたパブで陰湿な男に嫌がらせされた上、それがまるでゲオルゲの一方的な過失であるかのようにこともあるだろう(あれとのかすかな対比が、というかゲオルゲの感じてきたであろう疎外感を示唆するものとしての、ゲオルゲを待ってる間に通りがかった、英語ではない言葉を話す二人組だと思う)。更に、二人のマイノリティな関係は、祖母と父をはじめとする様々な人に受け入れられるかどうかという点でも難しいだろうと思う。
でも最後にジョンが言ったように、変わろうとしている。ジョンは。もしくは、あらゆる人が、ものが、変わっていくかもしれない。未来のことは誰にもわからないけれど、二人が死にもせず差別を強く感じることもなく、共に生きようと決めたこの映画が作られる程度に、未来に希望はあると思うのです。