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生きてるだけで、愛。のmのレビュー・感想・評価

生きてるだけで、愛。(2018年製作の映画)
4.0
最初は、この映画好きになれないかも……と思った。
寧子の話し方はわたしの嫌いな人の話し方と似ているし、苛立ちを外に出す人が苦手だから。わたしは、日常においていらいらするのが本当に嫌いで、そんな気持ちの揺れほど無駄なエネルギーはないと思っている。だから、できるだけ自分の心を平穏に保てるように努めているのに、人が怒りや苛立ちをぶつけるのを目にするとその努力が全部無駄になってしまうから、寧子が嫌いだ、と思った。

そのため映画に入り込めず、いや、入り込むことで自分の感情まで動かされてしまうのが嫌で、半ば意図的に、話の本筋とは違うことを考えていた。
菅田くんがインタビューで津奈木を演じるうえで「優しくしすぎないように」気をつけたと話していたけれど、津奈木の台詞を文字としてだけで受け取ると津奈木は“やさしく”聞こえると菅田くんは思ったのかなあ。とか。
刺々しい物言いをしたり、津奈木を試すようなことを言う寧子に津奈木はなるほど確かに“やさしい”。二つ買ってきたお弁当を袋から取り出しながら「どっちが食べたい?」と問う。それなのに寧子は死ぬほどワガママで、惰性で彼女と生活を続ける津奈木がわたしにはあまり理解できなかった。


だけど気づいたら、カフェバーでのバイトの初日、目覚まし時計で起きて朝から出勤した寧子を見て、すごいよ!えらいよ!とうれしく思う自分がいた。がんばって!と思った。
いつのまにか寧子を嫌いだと思う気持ちが自分の中から消えていたことに驚いた。
どこから変わったのだろう。きっと嫌いだ嫌いだと思っていた寧子は自分だとどこかで気づいていて、本当は優しくしてあげたかったんだと思う。
寧子は、ブレーカーの落ちた部屋でひとり泣いているようなひとだった。


トイレで、寧子が電話の相手に津奈木を選んだあたりから、やばい、涙が落ちる、と思って慌てて手で目元を抑えたけれど、間に合わなかった。そこから何分ほど泣いていただろうか。
屋上で寧子が吐く言葉を聞いて、映画を見る前に読んだ菅田くんの言葉をまた思い出し、合点がいった。「相手にも自分が呼吸しているだけの時間を与えないとコミュニケーションにならない」。まさに、それだった。
「わたしと同じだけわたしに疲れてほしい」


わたしはわたしと別れられない。
それは、どれほどしんどいことか。疲れることか。
けれど、それが生きていくということで、その自意識を包んでくれる愛を求めるのは、生きている人間の本能なのかもしれない。


津奈木が寧子の肩を抱きながら元カノの横をすり抜けた時、津奈木は寧子といることを選んだのだと思った。
だからこそ、あの部屋でのラストシーンにはっと息を呑んだ。寧子の涙も、津奈木の横顔も美しかった。
2人が分かり合えた一瞬は、津奈木の「俺ももっとお前のこと分かりたかった」というあの一言だったのだろう。
寧子は、わかってしまった。
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