安藤エヌ

生きてるだけで、愛。の安藤エヌのレビュー・感想・評価

生きてるだけで、愛。(2018年製作の映画)
4.0
この映画は観る人を選ぶ。

菅田将暉、という人物がメディアに露出している陽性の魅力に惹かれて鑑賞すると、大抵の人間が理解の追いつかないまま劇場を後にすると思う。
ただ、「感情移入できる」人、この映画を「観れた」人だけは菅田将暉という俳優の陰の魅力、決して明るみには出ない「影の美しさ」にはっと気づいて、息をすることも躊躇いたくなるはずだ。
また、主演の趣里という女優も好き嫌いが分かれるタイプの俳優だと思う。「刺さる人には致命傷レベルに刺さり、刺さらない人は無傷」、そんなタイプの俳優だ。二人の演じる人間の生々しさ、空間の現実感、社会という枠からはみ出した人間のやる瀬なさ、ふいに襲う暴力的な衝動、そういったものに無縁で今までを生きてきた人には、この映画は理解し難いものだと思う。
ただ何度も言うように、一度、心臓のど真ん中に杭のように打たれたこの情動を味わえたのだとしたら、あなたは「こちら側」の人間だ。一度その感覚を覚えてしまうと、「生きてるだけで、愛。」の映画世界からしばらく抜け出せなくなる。
濡れた夜道に反射するテールランプの光、赤く色づいた夜の部屋の中にさす斜光、人が丸裸になるということの意味、何もかもが自分の扱える範疇を超え喚き散らし泣き叫ぶ瞬間、ふがいなさ、そんな自分を抱きしめてくれる人の奥に潜む生きづらさ、ダンス、ダンス、ダンス。
そういったものに恋い焦がれるような感情を抱く人は、たぶん、寧子のように社会に上手く馴染めていない。津奈木のように何かを諦めているが、それでも何かを捨て切れずにいる。二人の抱える孤独と生きづらさは、周りを歩く人間を一斉に透かすことが出来れば何人かは同じものを抱えていることが分かるだろう。
それでも人間は透明じゃない。分かり合えない。重なり合っても凹凸が合わない。皮膚に邪魔され、時にはコントロールできない感情自体にも阻害される。

「ほんの少しだけでも、分かり合えたら」。

そういう願いで、二人は生きている。分かり合えた瞬間があるのなら、二人は一緒に生きる意味を見つける。それがラストシーンだとは決めつけたくない。
なぜなら二人の間にはまだ分かり合えていないものがいくつもあるから。
それでも、たった一部分だけでも、分かり合えたら。
青いスカートが揺れる美しさを、感じられたら。

主題歌「1/5000」を歌う世武裕子のアルバム「Raw Scaramanga」の中の「スカート」に、こんな歌詞がある。

世界のどこかで揺れるスカート 青い 青い鳥になって
自由を知ったよ 不自由を知ったよ
壁を伝い 生きてる

これを、私は寧子と津奈木だと思う。
淋しくて美しい、二人の歌だと思っている。
安藤エヌ

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