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ここは退屈迎えに来ての公園のレビュー・感想・評価

ここは退屈迎えに来て(2018年製作の映画)
3.3
富山県出身かつ原作ファンのため鑑賞。
原作の方が「地方」感が強かったような印象、私は原作の方が好きだ。映画は椎名がちょっとチャラチャラしすぎだし、いくつか白けるシーンもあった。主題歌を登場人物が歌うシーン(しかも長め)は個人的には要らない。カメラの揺れが激しいシーンもあり酔う。なんにせよ地方都市出身でない人には感情移入はしづらい映画だろう。

しかし富山県出身者としては懐かしさで心が締め付けられる風景ばかりで、それだけで観る価値はあった。41号線、8号線、富山大学近くのアリス、富山市花火大会が行われる河川敷に架かる橋、富山空港近くの橋、総曲輪商店街、あっぷるぐりむなど。富山市中心部〜呉西出身者の方がよりグッとくるかもしれない。

ゲーセンとファミレスとラブホと車が生活の大部分を占める生活が良いか悪いかはその人次第だが、自分はそれに耐えられず逃げるように地元を飛び出しただけに、鑑賞しながらなんとも言えない気持ちになった。「あたし、免許取る」というあたし(門脇麦)の台詞にも地方の文化が表れている。なんてことない台詞に聞こえるかもしれないが、車社会の土地で免許を持たない人間は「一人前でない」扱いをされることを知っていると、この言葉の重みがより分かる。

原作でも深く印象に残った新保くんが、映画ではよりクローズアップされているような気がした。真の主人公のようだった。渡辺大知のあのパサパサの赤髪はいかにも新保くん!という感じ。ただ、新保くんがフレッドペリーのポロシャツを着ているのが腑に落ちなかった。ユニクロのポロシャツ着てそうだけど。

『ここは退屈迎えに来て』という題名は、誰かが自分を迎えに来てくれる(助けてくれる)のを待っている、言ってしまえば他力本願な言葉だ。サツキ(柳ゆり菜)は田舎の嫌な部分に辟易してか、しきりに「わたしも東京行けばよかった」「羨ましい」と口にする。しかし、作品内でもわかるように誰も助けてはくれないし、誰も東京には連れていってはくれないし、誰も自分を「何者」かにはしてくれない。当たり前ではあるが、自分を助けられるのは究極的には自分しかいない。それを自覚して自分で行動を起こし生きるのか、誰かのせいにしながら「自分の人生はつまらない」と思って惰性で生きるのか、その分岐が鑑賞中にずっと心の中にあった。「ここは退屈迎えに来て」という気持ちからいかに発展させられるか、ということだろう。
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