あでゆ

ペンギン・ハイウェイのあでゆのレビュー・感想・評価

ペンギン・ハイウェイ(2018年製作の映画)
4.5
毎日学んだことをノートに書きためている小学4年生のアオヤマ君が暮らす郊外の街に、突如ペンギンが現れる。アオヤマ君は、海のない住宅地になぜペンギンたちが出現したのか、その謎を解くために研究を始める。そして、行きつけの歯科医院で仲良くしているお姉さんが投げたコーラの缶がペンギンに変身する瞬間を目の当たりにする。

まさにタルコフ好きーな正真正銘のSF作品。
『ソラリス』は未見だけど、銀の月なんかは完全に『ストーカー』の「ゾーン」だし、もっと言えば同じタルコフスキーオマージュの『アナイアレイション』感がすごい。ジャバウォックなんかの獣ももろに出てきそうだし。

SF的解釈と青春モノとしての物語の絡ませ方が見事。
まず異常表現として最初に現れるペンギンが本作の特性をすべて象徴している。
本来であれば"宇宙よりも遠い場所"にいるはずのペンギンと『鏡の国のアリス』のような異世界にいるジャバウォックが対立しているが、これは現実から現実への距離感と現実から異世界への距離感をイコールにしている。南極があるように異世界もあるという理屈だ。
ここで面白いのは、異世界の管理人であるはずの「お姉さん」が現実代表のペンギンを操ってるところ。劇中でこの説明はなかったけど、こういう矛盾した構造は考察の余地があって好き。

その上でこの異世界、特性として表や裏、向きといったベクトルの概念を無くそうとする作用がある。
例えば球体の海、水源のない川、妹のお母さんに死んでほしくないという発言、勝負のつかないチェス、方向感覚の無い街、そして丸く美しいおっぱいがこれを示唆している。
解決や因果を先延ばしにしようとしている人間たちによってこの世界が生まれたのかはわからないけど、とにかくそういう異世界とぶつかり、この世が飲み込まれそうになったというわけだ。

そしておっぱいは球体の象徴でもありながら、主人公が不可逆な成長を遂げるためのハードルでもあるし、地球を管理する母としての象徴でもある。
そして彼女はアオヤマ君にとってははじめての女性という"異質な存在"。
主人公はこの始まりと終わりのない世界に飲まれることなく、最終的に見事不可逆な成長を遂げて大人になるのだ。
だからこそお姉さんとも別れを迎え、文字通り乳離れするのだ。

この見事な可逆的な異常表現と不可逆な成長の対比が素晴らしいと言わずして、なんと言えようか。

オープニングのアングルや、ペンギンが出てきたときのヌキポイントなど、アニメ表現的なカタルシスもふんだんにある名作。

そういえばお父さんの後ろ姿がモロに『四畳半』の私だった。
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