MasaichiYaguchi

教誨師のMasaichiYaguchiのレビュー・感想・評価

教誨師(2018年製作の映画)
4.2
タイトルになってるいる「教誨師」とは、刑務所の受刑者に対して悔い改め徳性を養うように道を説く者で、多くは宗教家がボランティアで任に当たっている。
今年2月に急逝した大杉蓮さんの初プロデュースにして最後の主演作では、主人公で教誨師の佐伯が6人の死刑囚と向き合う会話劇を通して「罪と罰」、人が人を裁くことや罪を贖うことの意味を問いながら、「生と死」を見詰めていく。
舞台の9割以上が刑務所の面会室で、音楽のない会話劇という、地味でこれ以上贅肉を落としようがない作品だが、途中でだれることもなく、逆に最後までピリピリと緊張が強いられるような展開が続く。
それは教誨師・佐伯役の大杉蓮さんと、入れ替わり立ち代り彼と対峙する6人の死刑囚、高宮、野口、進藤、小川、鈴木、吉田を演じる、玉置玲央さん、烏丸せつこさん、五頭岳夫さん、古舘寛治さん、光石研さんらとの火花散る演技の遣り取りによるものだと思う。
これらの遣り取りを通して、彼らのプロフィール、特に何故死刑囚となってしまったのかが朧げながら浮かび上がっていく。
更にこれら咎人の心に寄り添おうとしている佐伯の意外な過去、そこにトラウマのようにある〝罪〟を我々も見詰めていく。
日本で教誨師をしている宗教家は2000人程らしいが、その中で佐伯のようなキリスト教系の人は10数パーセントで、大半は仏教系で占められているとのこと。
佐伯の言葉にも出てくるが、キリスト教では「すべての人は罪人である」と説いていて、ここでの〝罪〟は創造主である神に対して犯している罪を指している。
だから生まれながら〝罪人〟である人は、それを踏まえて神を信じ、その教えと共に生きよと説いている。
この作品では、その教えを基に接しようとする佐伯に対し、真っ向からアンチテーゼを唱える者が出てくる。
この対峙が現代を生きる我々に問題を投げ掛けると共に、理想と現実の埋めがたい〝深い溝〟を感じさせてくれる。
外国では「死刑制度の是非」が問われて見直されたりしているが、日本では被害者や遺族の無念や再犯の危険性を考えて世論の8割以上が死刑制度を支持している。
劇中の台詞でも出てくるが、死刑制度が必ずしも殺人事件等の凶悪犯罪の抑止になっていないことや、「冤罪」によって刑に服している人がいることを考えると、描かれたドラマを通して、是非はともかく日本も「死刑制度」について冷静に考える時期に来ているような気がする。