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軽い男じゃないのよのgejiのレビュー・感想・評価

軽い男じゃないのよ(2018年製作の映画)
5.0
この主人公の男の怒りは、全ての女性の怒りだ

予告からして面白くて期待してたらまっじで最高だった

男と女が入れ替わったら世界はどうなるのかって話
男性中心社会が女性中心社会になる

「女はかわいさで得してる」とか言う奴いるけどこの映画観ればいいと思う
と思ってたら映画の中のセリフでもあったわ
「男はチヤホヤしてもらえる」「女に贈り物をしてもらえる」

冒頭からジェンダーネタばんばん入れてくる
主人公の男がふつーにやってることがめちゃくちゃ女性蔑視でセクハラっていうのをコミカルにかつ痛烈に風刺してておもろい
主人公が女性に対して言ったセリフがそのまま女性から返ってくるのが非常に面白い
主人公の視線(女の身体をジロジロ見る感じの)をたどるようなカメラワークも良い

道路の通りの名前が神父から神母になってるのも芸が細かい
実際に偉人の名前で通りや橋や地区の名前がつけられる場合、男性の名前が圧倒的に多い
人の価値観も含めて街の全てが男性中心に作られてることを非常に巧く描き出してる

ニュース「なぜ今なのか?」職場「善処してるよ」上司「何に怒ってる?燃え尽き症候群か?」「マスキュリスト(フェミニストを文字ったやつ)の妄言」
これは女性の要求が取るに足らないものとして後回しされることを風刺してる

「笑顔がかわいい」「透けてるから気をつけて」「セクシーなシャツ」「モテるには努力しなきゃ」
これは女性へのルッキズムを男性が体験するとどうなるのかということ
視線の描き方が上手い どういう風に見られるかっていうのもポイント

「コーヒー持ってきて」ボスは女性 セクハラするのも女性 性暴力をするのも女性
レジは夫 愛想良くするのは男の仕事
バーのウェイトレス役もポールダンサーも男 家事労働者も男
「男なのに勇気ある決断だね」
夫婦が紹介される時、妻が先で夫が後
「44年間で男は3人しか受賞してない」

生理用品も女性用アダルトグッズも堂々と置いてある
脱毛しない女 脱毛を要求される男 このネタめちゃくちゃ好き
胸毛が真ん中だけ謎に残ってるのもおもろい

「男の話はパパにして」
育児休暇の交渉は男
言葉遣いも荒いのは女
置物が裸の男の彫像だったり、ポルノ雑誌が男の尻だったり 
パンツのお尻パッドはブラジャー風刺かな
セックスのポジションも逆転 めちゃくちゃ分かる 自分がイッたら終わる女 口に指突っ込んでくるやつを女が男にやる
ミューズは男 
親に恋人とか結婚の心配される 独身女性への視線を風刺してる 女性は男性よりも、結婚しないと/子ども産まないと一人前じゃないと思われてる現実を風刺してる

「女性らしい」酒を勧められる
ポーカーのテーブルにつけるのは女だけ

上半身裸でジョギングする女 つまりそうしてても性的に見られたり襲われたりしない世界 現実では男性が享受してる世界

「ヒジャブの男なんて」
このネタが1番感動した
フランスの映画でミソジニーネタで、女性でイスラム教徒というムスリマのインターセクショナリティをちゃんと扱ってる
感動した
男が演じることで観客に分からせる感じすごい

まじで小ネタも多くて、ほぼ全部のセリフにジェンダーに関する風刺が入ってる感じ
最高か
マイクロアグレッションに耐えてきた女たちの怒りをひしひしと感じる

サクサク進むから見やすい

男性の口で不条理を問わせることで、観客に間接的に訴える
「今の不自由な状況を受け入れすぎ」と(自分が女性蔑視をしていた)男が別の男に言うことによって、元の世界では自分がその「不自由な状況」を作っていたという特大ブーメランになっている

同様に、女性のキャラクターにフェミニストを曲解させることで、観客の中にある曲解に気づかせる
「愛に飢えてる 女(男)に抱かれて安心したいだけ どれだけ強がっても私を好きになれば依存する そして捨てられて泣くんだ」
こういうアンチフェミニスト言説のグロテスクさと不正義を、女性に言わせることで明確に描き出してるところが天才

「男性解放に興味があると聞いたけど私たちの首を狙ってる? 主張は?」
これは実際に出会ったことがある。フェミニズムやジェンダーに関心があると言っただけで、危険物みたいな扱いをしてきたり、親しくもないのに食い気味に主張を問いただそうとしてきたり

「ゲイなんでしょ?」
これもあった。自分がそうだと一度も言った覚えはない所で、ジェンダー平等の話をしたら私自身がクィアだと断定されたことある

「肉体の差はどうしようもない 自然の摂理だ」これもよく聞く言説

日本語翻訳も意識して女ことばと男ことばを使い分けてる 語尾で変わる印象の違いが意識されている
女に男ことばで訳すことで、力強くより信頼できる印象に、男には女ことばで訳すことで、軽く頼りない印象にしている
日本語にはジェンダーによる言葉の違いがあり、それを使って印象をうまく表現している

男性の甘えとか宥めすかしや逃げもうまく描いてる 
男の役者がやっても「ふつう」に見えるけど、女の役者がやると違和感が生まれる 
その違和感は、実は男の役者や現実の男がやってても「あった」ものだと観客に気づかせる

「男を物のように扱う」
女は男に選ばれることが価値
「なぜ怒ってる」
「私が黙るべきであなたは変わる気がない」
女タリバン 小児性愛の女司祭 なるほどなー

「男(女)のためにヒット作を逃すな」
マスキュリニスト女性(フェミニスト男性)へ風当たり

「たまには他の男(女)に走るものよ」「欲望に駆られて下敷きに」「そういうものだった」
性暴力の原因を男の性欲に求める言説の風刺
「でもあなたに責任はない」
性暴力の被害者へのメッセージ

シスターフッド(男性版)「男どうしで支え合いましょ」
連帯に対する侮蔑「男の恥さらし」「ろくでなし」唾棄
「夫と4人の息子がいる 私たちは敵じゃない」
I'm not racist, I have Black friends論理

全てのシーンとセリフに意味がある
終わり方も上手い

この映画のすごいところは、男女を逆転させることで、違和感を浮き彫りにしたところ

「女性が優遇される社会」というテーマなら、「女らしい」ままで、つまり本作に描かれるようにマッチョな女性でなく、ソフトな女性でもいいかもしれない

けど本作の狙いはそこではなく、そもそも現実の世界で「いかに性差別が存在しているか」の可視化だと思う
男性中心社会では「ふつう」になってしまい慣れてしまっているために見えない違和感を、女性中心社会に変換し、男性のセリフをそのまま女性に言わせることで浮き彫りにしている

可視化という目的のためには、「男らしい女」が男に対して性差別をするという構図が有効だったのだと思われる
その方が「男らしい男」が女に対して行う性差別と明らかな対比になるため
より観客が違和感に気づきやすく、怒りを抱きやすくしている


主人公は自分に向けられた性差別への違和感と怒りが「自分ごと」だから男性解放運動に参加した
そして最終的に女性に向けられた性差別も「自分ごと」であることに気づいたからフェミニズム運動のデモに参加していたんだろう

製作者は、観客の、とくに男性にそのような道筋を示したかったのではないか
他者の立場に置かれたことを想像して「自分ごと」にすることを
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