私の言葉と道徳観の外側に彼が立っていました。
彼は聖人か狼か、どちらなんだろうと思いました。けれど、私の心の外側に立ってこちらを見つめる彼の目はそのどちらでもありました。
静かに微笑んでいるような、じっと苦しみに耐えるような、どちらとも言えない顔をしていました。
聖書に「ラザロ」という男が登場する。キリスト教の(イタリアだからカトリック?)知識があればもっとこの映画のさまざまなシーンがつながるんだろうなと思いながらも私はまだそれについて調べていません。彼は両親がいなくて、おばあさんだけだと兄弟に話していました。桃太郎みたいだなと思いました。
彼が生活するイタリアの村は厳しくて、人間が何もすることができないようなパサパサした空気が魅力的でした。
彼は私たちに怒りをみせたことも、満面の笑みをみせたこともなかったように思います。
すべての苦しみを飄々と受け止めているみたいでした。
彼が背筋を伸ばしてどうどうと歩いているところを見たことはなかったと思います。でも何にも怯えることなく、そこに立っていました。
周りの環境がどう変わろうと彼は彼のまんまでした。
何年たったあとも(おそらく浦島太郎のように何十年もときは過ぎたんだと思います)彼のすがたが変わらなかったのはそういうことなんだと思います。
彼には、彼自身がいるから大丈夫なんです。
自然の化身のような、資本主義とは無縁のようは彼が銀行でそういう目にあったのはなんて皮肉なんでしょうか。
チーズも銀食器もパチンコもじゃがいもも、すべてがあの映画にとって大切な要素で全てのものに意味があったような気がします。ただの気のせいで、ぜんぶラザロのせいでそう思っているような気もしますが。
とくにお鍋の満月が好きです。あの映画を貫く精神の一部はきっとあの銀色のお月さまです。
私の記憶が正しければ、彼は一度も食べることなく、排泄することもなく、そして水を飲むことすらなかったような気がします。
こういう人に私はなりたいと言ったのは宮沢賢治でした。わたしは「雪が降っておもては妙に明るいのだ」の一節がとても好きです。
王子さまが不時着した星はどうなったんでしか?私は覚えていません。あの奇妙なうわばみの絵だけは覚えています。王子さまはあの星を去ったんでしたか?