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search/サーチのmのレビュー・感想・評価

search/サーチ(2018年製作の映画)
2.5
まず『全く新しい映画体験』と宣伝されている全編PC画面という手法だけど、もう既に「ブラック・ハッカー」「アンフレンデッド」という2本の映画で先にやられている上に先行する2本と比べて今作は圧倒的に出来が悪い。
その事を抜きにしても1本の映画として普通に安直で大仰でつまらないので、何故これが評判になってるんだろうと考えるとまあ何となく想像はつくのだけど・・・


全編PC画面にする事に必然性がまるで無く、むしろ作り手がしばしばこの手法を持て余し不自然さが生じていて、映画にとって足枷にしかなっていない。
何故刑事とまでFaceTimeで通話するのか、そこは普通に電話するのでは?検索かけてる時は分かるけど、この人そんなにパソコンにかじり付いてるの?
普通に客観で撮った方が良い瞬間もしょっちゅうある。手段が目的になってしまっている映画。

例えば「アンフレンデッド」では主人公がSkypeで他の友人と話しつつ同時に彼氏とメールで違う話のやりとりをしていて複数のコミュニケーションが同時に進んでいるのを見せる等、全編PC画面である効果があった(同時進行が今のSNSのコミュニケーションらしさだとも思う)。今作では大体画面で起きている事は1つだけで、検索過程を延々と見せたり(まあそれがこの映画の『捜索』なのだけど)、その検索結果がA→Bに繋がるのを見せたりとただひたすら情報を説明しているだけだったりする。
ただ情報処理を延々と見せられるだけだと物足りない、そこに感情がもっと現れないと。PCカメラで俳優の顔を見せるだけでなく、カーソルの動き1つにも感情は宿るのでは?(母親の事や娘との微妙な距離感を描いていく序盤ではそれができていたのに)。


ただでさえスクリーンでPC画面を見るという行為が作為的なのに、ここぞという時に大仰な音楽が流れて一部にズームしていく演出がさらに作り手の作為をあからさまにする。

PC画面を登場人物達が誰も見ていない(のにスクリーンにはPC画面が映っていて物語が進行している)瞬間が結構あって、じゃあこれは誰の視点なのかと考えるとまあ観客視点なんだけど、そこで変な客観性が生まれてきてノイズになる。それくらい気にするなよと言われそうだけど、そこまで気にして作られていたのが「アンフレンデッド」や「ブラック・ハッカー」だったので、この映画のそういう適当さに失望する。先述したようにスクリーンでPC画面を見るという行為ってかなり作為を感じさせる事だと思うので・・・。


意外性のある展開の連続は確かに観ていると楽しくて、疑惑と空振りの連続はミステリーの定石だし別に良いのだけど、その1つ1つが雑なのが気になる。主人公がある人物に疑いを抱く時も、この人はこの証拠でここまで確信を持ってその人に疑いを抱くのか、それは展開の為に動いているだけなのではと気になる。あの『証拠』というファイル名がもうやり過ぎてる。GoPro?を仕込み始めた時はうんざりした。
意外性だけ、その場限りの面白さだけを追求するばかりで、あぁなるほどね、でも実はとなるとそこで矛盾してきたりつまらなくなったりする。この人はそんな事しないでしょ、と行動や感情に矛盾を感じてしまう。


ミステリーと並行してもう1つの軸となる父娘愛も冒頭が良いから上手くいくかなと最初は思いきや、結末が出来過ぎた優等生的表現でそれがまたこの映画の凡庸さを加速させる。


SNS&若者批判はお決まりの浅さで、未だにSNSと若者達をこういう表層的な浅いものとしてしか捉えていない製作者の価値観の古さと若者層への見下しには心底うんざりする。Netflixで配信されている「アメリカを荒らす者たち」の思慮深さを既に観てしまった今となっては、まだこんな事やってるのかくらいにしか思えない。


観終わった後は結構怒っていてこういう文章を書いたけど、観た後すぐ忘れる映画だとも思う。後出しジャンケンでも面白ければ良かったのだけれど。


ネタバレありの感想をコメント欄に少し書いておきます。
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