おみの

町田くんの世界のおみののレビュー・感想・評価

町田くんの世界(2019年製作の映画)
4.7
弱い者がいじめられ人の不幸が喜ばれる「悪意に満ちた世界」、ではその対となる「善意の世界」、それとは弱い者がいじめられるのでなく助けられ人の不幸が喜ばれるのでなく悲しまれる世界、だとして、これが望まれこれが起こるというこの事象の蓋然性がどうにも100じゃない。それはなぜかということの説明が町田くん、町田くんは目の前の悲惨にミルクティーを差し出して回る人であって、回るのだからつまり、ある人がある時弱っててミルクティー欲しくてでも町田くんは別の人のところにいたのでミルクティーもらえなかった、期待が裏切られた、そういうことが当然起こる。たぶんそういう時に「偽善」系の概念が登場しがち?われわれが「クソ」に「安心する」のは、期待が裏切られるというただの否定態が「悪」一覧のうちどれかの概念に当てはまることに癒されるから?ただの否定態との対面がなくなって別の概念が立ち上がってくれるから?ただただ裏切られた、ただただ空振りだった、無、人間それがいちばん堪え難いから、「悪」が頼りになる?
弱い者がその上いじめられることがありませんよう、不幸に見舞われている人がその上それを喜ばれることがありませんよう。悲惨に悲惨が重なりただただ悲惨でしかない、そういうことが人の身にありませんよう。これを祈るということから人間はじまるとして、人間だいたいみんなこれを期待するものとして、この性善説っぽい説、ここから導き出される人間像はたぶん佐藤浩市。祈る、叶わなかった、だから「悪」に癒される。「善」を祈った人こそが、「悪」を希求して「悪」に加担する。
無差別平等の町田くんは、あなたへの優しさを確約しない。「悪」を一切取り込まない、あなたに優しかった町田くんは、あなたに優しいのではない。あなたにも優しい。確かなのはあなたが優しくされているあなたの状態ではなく、町田くんは優しいという町田くんの状態。町田くんに優しくされて「善」を信頼するようになった同級生たちが、だからきっとそれぞれに佐藤浩市になっていく。あたりまえにすこやかに。そして町田くんは、猪原さんに優しい、新しい町田くんになる。「町田くんの世界」が終わる地点で正しく終わる、まさしく『町田くんの世界』。たぶん円盤買って『サクラダリセット』と並べる
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