a

愛がなんだのaのレビュー・感想・評価

愛がなんだ(2018年製作の映画)
3.8
様々な登場人物を通して、愛とは何かを描いた作品。といっても本質的なものを追求するのではなく、私の愛ってこの人に近い概念かもしれない、とふわっと見つけるような。この映画を観て、涙を流す人もいるだろうし、ヘラヘラ笑ってしまう人もいると思います。愛がなんだ。

付き合っているのか付き合っていないのか分からないような、電話一本で呼び出されて都合の良い時だけ彼のそばに居られる状況を"大人ってこういうものだ"と正当化して、関係をハッキリさせることを先延ばしにする。
きっと彼に本当に好きな人ができた時、この関係は終わってしまうのだとどこかでは分かっている。
彼の何気ない未来予想図の中に自分はいるのかどうか無理に探して、無理に自分を納得させる。
私は彼の彼女なのだ、とは口にすることが出来ない。

こんな恋愛をしたことのある人は多いと思います。主人公のテルコの言う通り、学生の時ほど大人はすぐに関係性に名前をつけない。付けなくてもいいという術を知っているから。
テルコはマモちゃんが好きで、マモちゃんはスミレさんが好き。たくさんの人に囲まれて自由に生きて、しかも大好きなマモちゃんにも好かれているスミレさんをテルコは羨ましく思っていた。でも、スミレさんも好きな人のために職を手放せ、1人のひとを真っ直ぐ見つめられるテルコを羨ましく思っていたのではないかと。

本編で最もぐさっと心に刺さったのは、守がテルコをうざいと言うシーン。守曰く、テルコは5周くらい先回りして相手の言動を考えている、逆自意識過剰だと。
それは守からいつ電話がかかってきてもいいように夜の予定を空けていたり、風邪をひいたからご飯を持ってきてと言われただけなのに食事を手作りする上に部屋の掃除までしてしまったり、ゴミの分別をしたり、ぐちゃぐちゃの服を畳んでおいたり。テルコは純粋に良かれと思ってやっていることだけれど、守にとってはうざいの中に入ってしまう。ここでの守にとっての愛とは、正しいポジションから正しい方向で投げかけられないといけないもの、テルコにとっては相手にとって良いことなら自分を蔑ろにしてもいい程のもの。

テルコと同じように1人のひとを真っ直ぐ見つめる仲原くんでしたが、テルコと違う点は自分の愛を過剰に伝えず、相手が求めてくれることだけに愛を感じるところ。
自分からは決して好きと伝えず、でも葉子が呼べば必ず行くし、葉子の望む行動をする。その部分だけみると、テルコの鏡のような存在です。仲原くんにとっての愛とは、自分を少しでも必要としてくれたら、相手の望むことを少しでも実現してあげられたら。

テルコが葉子に「悩むことはある?」と尋ねたように、私たちは他人は自分より幸せなのだと思いがちです。テルコは仲原くんをぞんざいに扱う葉子を、どれだけ一緒にいても振り向いてくれない守と重ねたのでしょう。しかし美人で仲原くんに一途に想われている葉子もいろんなことで悩むように、守だってテルコの見えない不幸を抱えているはずです。

守がテルコにもう会わないでおこうと言うラストシーン。かの日の守のように、風邪を引いたテルコにご飯を作る守。麦茶をコップに注ぎ、少し多い方を守に渡すテルコ。かつてのテルコのように、自意識過剰気味の発言をする守。ああ、結局人間なんてみんな寂しくて愛を求めていて、自意識過剰で、自己中心的なのだ。
a

a