好きになったものに自分を捧げることは最高の快楽だと思う。
好きなものに出会うのには運がいるし、ある程度の努力がいる。好きなものがない人は努力が足りないとかそういう話じゃなくて、好きになりそうなものに自分のアンテナが反応するためには、ある程度の努力も必要だということ。
で、その獲得した「好き」は徐々にエスカレートしていくし、自分の好きはこんなもんじゃない、まだまだ足りないと感じて、どんどん自分が追い込まれていく。そして、苦しんで、のたうちまわってしまう。でも、その一連の行為の後でしかその光景(プロセス)を俯瞰することができないし、その途中で止めてしまうと次の景色が見えないまま、また別の「好き」なもので同じことが繰り返される。
だからテルコはナカハラくんに怒ったんだと思う。そこで止めるのかと。
また、間違ったものを好きになったり、あるいは好きになろうと努力したり、「好き」があまりにも行き過ぎてしまうと、まったく知らない場所に立っていることに気づく。そこにあるのは「無」だけかもしれない。
でも、そういったことを経験しないと自分の中の生き方の地図を作れない。
今を欲望に従順に、受動的でなく、能動的に生きていきたい。好きなものを探し続けて、自分の地図を広げたい。そうじゃないとつまらないから。
そんなことをこの映画を見て思った。