悲しい、悲し過ぎる。
めちゃくちゃつまらなくても良いので、
「ひたすらランボーが余生をのんびり過ごす作品を作ってくれ!」
と思うくらいには悲しい。
過去に囚われ、前に進むことの出来ないランボー。
戦争は終わったはず。
しかし、武器を揃え、恐ろしく広大な塹壕を掘り、そこで寝る。
「危機に備える」
という歪な方法でしか彼の心は休まらいのかもしれない、と思わせる描写だ。
内容としてはひたすらに単純で、静かに暮らしたいはずのランボーに厄介事が降りかかる。
そんなお決まりのパターンではあるが、妙齢に達し、ようやく落ち着ける場所を見つけ、守りたい場所、人も見つけていたはずがまたしても...。
だからこそ、前半部分はひたすらに悲しく報われない。
極悪非道なメキシコマフィアに、一切の道徳心やかけるべき情けはない。
観客も自ずと悲しみ、そして怒りがこみ上げてくる。
舞台は整った。
後は凄惨な虐殺ショーのはじまりである。
ランボーシリーズにおいて一切の遠慮をしない殺戮シーンから、見世物的な爽快感を得ることが出来るのは、"理不尽さからくる悲劇"があるからこそ。
どこかで戦いを望んでいるかのように、ハツラツと迎撃の準備に励み、ゲリラ戦におけるコンバットスキルの衰えは一切見せない。
お決まりと言っていい負傷も受けるが、悪漢達にとって僅かなハンデキャップにすらならない。
ランボー、いや、スタローンが演じるマッチョメンを殺す事が出来るのは、おそらく寿命のみである。(『クリード』においても癌との闘病にある程度打ち克った描写がある。あんなマッチョな癌患者がいるか!)
勧善懲悪のスプラッターアクション、と一蹴するのは簡単であるが、世界に溢れる理不尽な悲しみへの批判を孕んでいることは一貫してブレることはない。