つのつの

3-4x10月のつのつののレビュー・感想・評価

3-4x10月(1990年製作の映画)
4.1
【武映画の卑近な暴力】
北野武の暴力に対する意識を覗けるという意味で、監督のフィルモグラフィ上かなり重要な作品。
武ははっきりと暴力を「怖い」ものとして捉えていることが、本作を見るとよくわかる。

なぜ本作の暴力は怖いのか。
それは日常の延長にあるからだ。
例えば前半からしつこく繰り返される金属バットのフルスイング。
「危ねえだろこのやろー」というセリフが何度も反復されるから、我々は次第に「いつかこの金属バットが人の頭をかち割るのではないか」という不安を抱く。
あるいは主人公がヒロインとデートをする場面。
二人乗りのバイクが走行するのを、被写体にかなり接近した俯瞰ショットで見せるため、バイクの微細な揺れがはっきりと見える。
それを見てると次第に「このバイクは横転し、乗ってる人は大怪我するのではないのか」と不安になる。実際その後、コミカルではあるけれど車の追突事故が起こる。

このように結果はともかくとして、何か惨たらしい暴力が発動してしまうかもしれないという不安が日常的風景に紛れ込むのは、作り手である武が実際にそれを抱いているからではないだろうか。

その不安の一番の象徴が、ガダルカナルタカ扮する井口(見た人なら全員名前を覚えているでしょう)。
彼が序盤で、草野球のコーチとして「バカヤローこのやろー」と選手に喝を入れる場面は非常にコミカルだ。
しかし、彼がかつてのヤクザ仲間と対峙し「井口だよこの野郎」と怒鳴るシーンは、凄まじく暴力的で恐ろしい。
ヤクザのようなおぞましい暴力装置がほのぼのとした日常に紛れ込む怖さを体現するキャラクターと言えるだろう。

日常に暴力の欠片が転がっているからこそ、本作の主人公はいつのまにかヤクザ同士の抗争というとてつもないカタストロフに巻き込まれていく。
金属バットのスイングはマシンガンの乱射に、
不安定なバイクの2ケツは、タンクローリーの炎上に変貌するのだ。
そこには頼りになり滅法強いヒーローなどは存在しない。
普段の映画なら頼れるたけしですら、本作ではひたすら得体の知れないヤクザだ。ちなみに本作で初めてたけしが「他殺」されるのを見た。

本作はたけしのデビュー2作目だ。
多数出演しているたけし軍団たちを引き連れて「殿」として芸能界として絶対的な地位を築いていたたけし。
芸能界における地位は今も変わらないかもしれないが、バラエティ番組で軍団の面々に体を張らせていたのは80〜90年代、つまり本作が製作されていた頃だろう。
自分はリアルタイムでそれを見ていたわけでもないが、当時の武はほとんどヤクザの親分のような存在だったのではないか。
バラエティ番組で今では考えられないほど過激に体を張らせることと、組のために鉄砲玉をやらせることは似たようなものに感じられる。
だから、たけしは映画の中でヤクザの振るう暴力の卑近さと恐ろしさを見つめる。
彼の映画の中の暴力が怖いのは、彼が半ば自虐的に自分の立ち位置を客観視しているからだ。
彼が後にアウトレイジで日本のヤクザの身も蓋もなさを描く布石は、すでに本作に現れていたのだ。
そしてその苛立ちや焦燥感がついには自殺願望につながったからこそ、ソナチネのような傑作が生まれたのだろう。
そう考えると、暴力の恐ろしさはほとんど描かれないのに、滅法強く、さらには美しい妻との最期を遂げるキャラクターを自ら演じ、挙げ句の果てには自画を全面フィーチャーする「芸術」映画となってしまったHANA-BIを見て幻滅した旧来のたけし映画ファンが多いのも納得がいく話だ。
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