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KING OF PRISM -Shiny Seven Stars- IV ルヰ×シン×UnknownのHSのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

クライマックス、プリリズ時代から継承してきた「応援上映」のギミックをフル活用したメタ演出がとても良くて、いつから術中に嵌められてたんだろうという気持ち。

「俺が資金調達してんだから偶には好きなことやらせろ」と視聴者を突き放す10話、一転して、シンとファンのやりとりを通じて「受け手のことを考えない一方的な表現は暴力だ」として作り手と受け手の相互コミュニケーションの尊さを賛美する11話。
シリーズ通して感じるのは、誰も傷つけない表現に対しての監督の猛烈な執念だった。

バズり出したときには「観れば人生が輝く」的な宗教みたいな言われ方をしてたけど、それはこのシリーズ及びオタクによる応援上映カルチャーが、マイノリティや傷ついた人たちに最適化する形で発展してきたからで。劇場版2作品と地上波放映作品に最後までついてきた人たちの中には、きっとその受け手を全肯定する場の雰囲気自体に救われてきた人たちも多かったはず。ラストのユニットでのパフォーマンスは、そういう人たちへの励ましであり救済であり感謝であり賞賛であって、それに対して観る側も気持ちを爆発させている場がとってもよくてなんだか泣けた。

気になったのは、演劇でもよくあるステージと客席との境界線の越境。監督の内面的なところで強い影響がありそうなエヴァの最終回の越境は哲学的で、演劇的なものだったと思うのだけど、キンプリの越境はもっとエンタメ性の高いもの。ライブのコールアンドレスポンスとか2.5の客降りとか、アーティストのダイブとか、そういう生っぽくてよりエモーショナルなやつ。

こういうのヒーローショーとかプリキュア映画が発祥なのかなって勝手に思ってるんだけど、大人だって誰かを応援したいし誰かに応援されたいよねえ。応援っていいな、相手に気持ちを押し付けるんじゃなく、自分がそうしたいから相手を笑顔にできるように、相手がなりたい自分になれるように、自分にできるだけのことをする。スクリーン越しにエール交換しあったあと、わたしたちは現実に帰っていって、彼らもまだまだ闘わなきゃいけないものに直面して終わるラスト、平日夜に都会で観るにはちょうどいいなと思った。いろいろ全然整理がつかないから来週もう一回観る。
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