宇部道路

僕はイエス様が嫌いの宇部道路のレビュー・感想・評価

僕はイエス様が嫌い(2019年製作の映画)
2.0
 最悪の映画だった。つまり、「祈り」をテーマにしているにもかかわらず、この映画には一つも「祈り」がない。おそらく監督は、意図的に「祈り」を排除しているのだとは思うのだけれど、その対となる「祈り」を描けないことが監督の力不足、あるいは日本人の無力を表現してしまっているとも思われた。

 この映画は、全編に渡って「祈り」を軽視する。イエスへの祈りもそう、仏教的な祈りもそう、神道的な祈りもそう。それはきっと日本人のある姿なのだと思うのだけれども、それの対としてあるべき、「先生」「神父」あるいは「祖母」すらも、極めて形骸的な宗教しか抱いていないのが残念極まりない。だからこそ、主人公の信仰の喪失が、そもそも「遊び」にしかみえないし、別段この映画で主人公の成長(あるいは変化)が描かれているとも感じることのできない「playing」な映画であった。「praying」ではなく。

 また、たしかにカットは素晴らしく、写真的な美しさもあるのだけれど、やはりそこにも「意図」がない。この映画には反復される構図がいくつもあって、それが信仰の前後で変化するように意識されているのだとは思うのだけれど、作中一番驚かされる「廊下のカット」だけ、明らかに欲深く撮られているのが残念だった。せっかく作品終盤に先生と主人公、あるいは信仰と主人公、あるいは死と主人公が廊下で対面させられるシーンがあるのにもかかわらず、そこは「神の視点」に逃げてしまう。その選択をするならば、最初から同構図での挑戦的な演出など試さなければいいのに…。おそらく、あの「廊下のカット」は空間が強すぎて、人物が希薄化してしまうことを監督自身強く知っていたのだろう。あのカットは素晴らしく写真的ではあるのだが、この映画の中における他のカットの空間把握からするとあまりに異質なのだと思う。だから驚いてしまうのではないだろうか。