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岬の兄妹のKEKEKEのレビュー・感想・評価

岬の兄妹(2018年製作の映画)
5.0
- すっっっっっっげーーーっ
- 単なる胸糞映画では決してない
- 兄弟愛に落涙することも考察に頭を悩ませる必要もない
- 作品を目撃してしまったこと、それだけが重大な事実である

- 明日も生きなければならないことだけは決まっていて、なのにうんこも出ないほど食べるものに困ったとしたら、果たして世界はどんな姿に見えるだろう
- 妹の売春を目の前でガン見させられた兄が、それでも斡旋をやめられないのは、明日自分と妹が生きるため
- 同じように、私たちがこの映画を見て、目を背けてた何かを直視することになったとして、明日を生きなければならないことだけは確定している

- 知らないところで他人が手を汚して、死んで、それができるだけ目に入らないように複雑な社会で覆い隠して、その幕一枚隔てた屍の上で生活しているのが今の私たちだ
- 俺が消毒済みの綺麗なお手手で食べたパンを、500キロ運んできた長距離運転手が、性欲の吐口に一万円で売春した知的障害者を、毎日介護する家族の葛藤を、知らなくていいのがこの社会だ

- 飯を食って寝て子を残す、これだけ単純なことに数多の人類が途方に暮れている
- 掃いて捨てるほどある欲求に比べれば極めて僅少の、たった3つあれば満たされる生理的欲求さえ満たすことのできなかった兄妹は、その欲求の為になら人間はどこまでも単純になることを身をもって知ってしまっている

- 道徳に照らして、凡そ擁護することのできない兄の残虐な行為が、少なくない人間を幸福にしてしまう残酷さが現実にはある
- ともすればそれは真理子にとっての幸福にさえなり得ることこそがこの作品が伝える真に辛い事実だ
- 何が誰にとっての幸福なのか、知りえないことをちゃんと知ろうとすることが、真理子に手を差し伸べることのできる唯一の手段なんじゃないだろうか

- この作品から目を背けるために、兄の選択は仕方がなかっただとか、社会保障制度を使えよとか、詭弁はいくらでも捏ねられようが
- ただこの映画では兄がその選択をしたという事実が描かれていて、私たちはそれを見てしまったという現実がある
- 複雑混迷を限界まで極めた社会で、フィクションが何をこねくり回す必要があるんだって、TENETってマジで何の意味があったんだっけってつい考えちゃった

- あのラストシーンがなくても成立するこの作品で、何を伝えたかったんだろうとしばらく考え、あれは、この映画が性的搾取を肯定するものではないという主張なのだと理解した
- 真理子が誰かに助けを求めるように街中にばら撒いたデリヘルの名刺を拾ってしまうのが明日を生きる自分かもしれないから
- 自分がかけた電話が、あの瞬間のあの岬に繋がってしまうかもしれないから

- 人間にそれでも人間か?って言える人間ってそれでも人間か?どうだ?

- (てかプールのうんこシーンを見るためだけに金払ってもいいかも、レジェンダリー......!)
- (かもめんたる好きな人は色んな意味で好きになれそうな映画)
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