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この世界の(さらにいくつもの)片隅にのnekのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

戦争の映画というと、その最中の凄惨な情景を描いた作品が多い印象。
その様な映画や教科書を元に戦争というものを学んできたので、私の中で戦争というものは、現実にあったむごいこと、忘れてはいけない悲しい残酷な歴史、繰り返してはいけないこと、と言葉では心に刻み込んでいてもどこか非現実なものだった。
それを証拠に幼い頃の私は、戦争の時代に生きた人々(曽祖父母や祖父母たち)にとって戦争は当たり前にそこにあるもので、戦争が日常で、日常が戦争で、だから家族と離れ離れになるのも普通のこと、周りの人々が死んでいくことも仕方のないこと、と捉えて生きているのだ、心が強かったのだ、とどこかで思っていた。国民として国のために戦っているのだから悲しい出来事とは捉えていないのだと漠然と感じていた。(もちろん大人になって、そんなはずがないと理解したが。)

この映画は、戦争の時代に生きた人々がどのようにその日々を暮らしていたのかを想像することが難しい現代の私たちに、戦時下だろうが何十年前だろうがそこに今の私たちの暮らしと変わらない人々の日々の営みがあったのだということを、柔らかい雰囲気で教えてくれる。
お兄ちゃんがこわい、絵を描くことが好き、学校に行く、結婚して名前が変わることを不思議に思う、新しい環境に慣れるまでのストレス、節約術を学び実践してみる、人間関係のいざこざ、嫉妬、恋、友情、家族を思う気持ち等まるで現代の私たちと変わらない日常を送っていた人々の暮らし。それをゆっくりと戦争が迫ってきて飲み込んでいき、これまでの平和な日常や当たり前が奪われていったのだというその流れがリアルに感じられた。
その世界(戦争)の片隅に、こんな風に人々は暮らしていたんだなぁと。時代は違えど私たちと同じ、「人」だったんだなぁと。ただただ、平和を奪われていったんだなぁと。

原爆後にラジオを聞いて終戦を知った時に義姉がはるみの名を呼びながら泣き崩れたこと、すずが怒りと共に泣き叫びながら

「それでいいと思ってきたものが。

だから我慢しようと思ってきたその理由が。」

と言ったあの言葉。
その言葉こそが、あの時代に生きた人々の気持ちを代弁しているのではないかな。
昔の私は、終戦を知った人々は日本が負けたことが悔しいのだと思っていた。或いは戦争が終わって喜んだのだと思っていた。
きっと違う。
すず達の日常を見てきたからこそ自分と重ね合わせることが出来て、初めて戦争を自分のことの様に感じられた。
終戦・負けを知り、どれほど悔しかっただろう、悲しかっただろう、不安だっただろう、腹が立っただろう、やりきれなかっただろう。
何のために我慢してきたのか。何のために耐えてきたのか。何のために大切な人を失ったのか。何のために愛すべき日常を失ったのか。何のためにそれを仕方ないと思い込み前を向いてきたのか。
張り詰めていた心が、終戦を告げるラジオによって一気に砕け散ってしまったんだろう。
心が強かったわけでも戦禍の暮らしが当たり前だったわけでもなく、そう思って前を向くしかなかった時代。
そんな時代に生きた人々の悲しくて悲しくてやりきれない悔しい気持ちが、時代を超えて今を生きる私に痛いほど伝わってくる映画だった。

でも、最初から最後まで柔らかなあたたかい温度感で進んでいくので昔見た戦争映画よりも、愛しい日常がそこにあったということがわかって優しい気持ちで観ることもできた。すずのキャラクターとそれにぴったりののんさんの声、また登場人物の広島弁がとても心地よかった。

戦争を様々な立場から考えることの出来る映画。何度も観て、またその都度違う考察をしたい。
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