殺る気なヘンリーシルヴァ

7月22日の殺る気なヘンリーシルヴァのレビュー・感想・評価

7月22日(2018年製作の映画)
1.0
人権も良心もずる賢く、強い憎悪にはひれ伏すしか無いのかなと思った作品

憎悪の完勝、テロリストの勝利だと個人的には思った

そう思った理由はテロリズムの目的である自己の主張を実行、主張することに大成功しているからである

私は犯人側に立ち、自分がもしこの犯人だったらという視点で鑑賞しました

犯人側に立った理由について
このような残忍な事件を起こしても人権に守られ最短10年で仮釈放という形で元の世界に戻れるうえ刑務所内でもゲームができたりテレビを見れたり大学に通えたり何不自由ない豪勢な独房で暮らしができるこの世界をどう感じているのか知りたかったからである

そして、自分と同じ思想の憎悪をばら撒く事にも成功し今尚残忍な事件の犯人として注目が勝手に集まる中自分の主張ができるというとんでもないゲームのチーターみたいな自分をどのように感じているのか知りたかったからである


今作品を鑑賞するにあたって事前に事件を調べてから鑑賞をしてます

【作品の概要】
2011年7月22日に幸福の国ノルウェーで起きたノルウェー連続テロ事件のウトヤ島での出来事を描く

この事件はアンネシュ・べーリング・ブレイビクという1人の男性により計77名が殺された事件のことである

この事件はオスロの行政機関庁舎が爆破され8人が死亡
その直後にノルウェー労働党青年部の集会が行われているウトヤ島にて銃を乱射
69名を殺害している

この77人の殺害というのは単独犯による世界最大の短時間大量殺人犯になると言われている

本件の犯行理由

ブレイビクは、「イスラムによる乗っ取りから西欧を守るため」を動機として「反多文化主義革命」に火をつけることをあげ、
2011年7月17日にTwitterに犯行決意を書き込み、2011年7月22日の犯行直前に1514ページの文書をウェブに公開。自らテンプル騎士団を自称し、殉死作戦を書き連ね犯行に至る

また、犯行後「非道ではあるが必要なことだった」と主張している

逮捕時、ブレイビクは所持していた銃に大量の弾丸が残っていたが抵抗しなかったことや逮捕直前に警察に投降する電話をしていることから、銃撃戦を回避して生き延びて自分の信条を法廷で訴える狙いがあったとされている

法廷ではそれを恐れ審理が非公開となった

【感想】
審理を非公開にしようと彼が生き続けている限り主張は世に出続けると思う

残忍な犯行をしながらも豪勢な暮らしをしているということで世界から常に注目を浴びられているからだ
元に、彼がしているゲームをPS2からPS3にかえてくれという些細な発言すら縁の少ない日本にも届いてくるし
彼に惚れた女性が毎日手紙を送るようになるほど思想、考えが世に溢れ出てくるのである

彼に殺された77名の死は彼の主張を世界に広め彼の同士を鼓舞させるための死であったかのようにすら感じてくる

被害にあった労働青年部の党員であったヘッレ(事件時は自宅にいて被害にあってない)という人が言った言葉
「ひとりの男性がこれだけの憎悪をみせることができたのです。私たちが共にどれだけ大きな愛をみせることができるか、考えてみてください」
というのがこの国にも流れてきて記事になっているが

世界の反応は愛が勝っている!と素直に思ってはいないと感じるし
犯人1人でこれだけの憎悪に対して被害者や遺族の愛はこんなにでかいのか!なんて反応、記事を見ることがないので所詮その程度なのかと…


世界ではノルウェーのテロリズムを行った残忍な犯行より犯人の人権が勝ったことに対し複雑な感情が浮かび上がっているように私は受け取っている。
私にはそういう記事の方がより多く見られたからである

結果、被害者達のなんぼかは憎悪は憎悪しか生まない
復讐することは何も解決しない

だからこそ愛で対抗だと主張しているが
私としては残酷にも滑稽に感じる

愛や許す事で対抗だなんだ抜かしたところで犯人の憎悪は思想に乗っかり広がり一部で共感を呼んでいるようにしか感じないし

遺族らがこのような残忍な事件を忘れない
2度と起こさない為にと発言されているが

この事件を風化させることでしか犯人の思想を断つことは不可能であり
事件を鮮明に記憶できるよう保持するということはすなわち
事の発端の犯人の思想、主張も同時に記憶するということだと思った

犯人ブレイビクの思想を広める、記録するということは彼が正しく望んでいたことだと思うし彼の思うツボだと感じた


また、この作品では最後の方で法廷にて被害にあった男性が
「お前は一人ぼっちだ。刑務所で腐ることになる」と言っているが現実は残念ながら
2016年、刑務所内で他の受刑者と隔離されていたが自らに対する処遇が欧州人権条約に違反するとしてノルウェー政府を相手取り裁判を提起し、4月20日にオスロ地方裁判所が処遇改善の必要性と訴訟費用の支払いを政府に命じ、同受刑者の訴えの一部を認める判決を下しているような状態

犯人側にたって見ていると法廷での被害者の言葉は自分にすら響かなかったし彼からしたら「で?」っという感じなんだろうなとしか思えなかった


結果
この事件の犯人のブレイビクからすると

自分の掲げる正義を行い悪人を77名殺害したのち豪勢な暮らしをしながら思想をも広めることに成功しているという

大大大成功を納めているとしか言いようがない状態になっていると感じた


個人的には
人権を守ることで生まれる未来とはこんなものなのだろうか…
と多くの疑問が浮かんだ


残忍な犯人の人権を守ることは一方で「死人に口なし」「死んでるから人権も無し」
と、被害者の人権を軽んじる矛盾が発生していると感じた
また、それすなわち遺族への冒涜、復讐したいと思う遺族がいるならばその遺族の気持ちを踏みにじるものであると思った


イジメの死亡事件など見たときも思うのだが
人権をここまで守るということは
生きてさえすれば逃げ切れるということなのであろうかと…
この事件も見ている限りそのようにしか感じない