とぽとぽ

7月22日のとぽとぽのレビュー・感想・評価

7月22日(2018年製作の映画)
4.0
"Leaders of tomorrow"テロで深手を負ったけど生き残って帰れた、それが大事。テロに屈っさない、迫る脅威の中で国や組織はそう言うけれどそれが意味する(困難な)所を国民・市民レベルに当てはめる再生の記録ーーーー"I choose to live."『ユナイテッド93』では9.11テロのその瞬間を矛盾点など気にせず当事者たちの証言のまま息詰まるドラマとして練り上げ、『ボーン』シリーズでは手持ちカメラによる手振れも武器に変える撮影と早いカッティング・目まぐるしく忙しない編集によってアクション新時代の傑作を築き上げたポール・グリーングラス監督脚本作ーーーー彼はフィクションでも実話モノでも変わることなく一貫して市民に襲い掛かるテロの脅威を描いてきた。そして今回でもその表現の責任へのスタンス、自身の作家性・メッセージ性は一切変わることがなく骨太。だから目を背けたくなる絶望的なシーンや手に汗握る展開もこれでもかと言うほどしっかりとスリリングにリアルに描き切る気骨に満ちている。本作では、それ以上に静かなドラマでも魅せる。彼の作品にはそういう意味で言い訳が一切ないように感じられる。それは上述したような自身の監督イメージに繋がっている演出の技を抑え込みにドラマに注力した本作でも何ら変わらず強く響いている、肉薄している。国家の中枢や犯人と弁護士家族、また市長の家族や生存者という一見規模や立場の異なる二つの物語を並行して描くことでドラマに重みをもたらし、ドキュメンタリー的な記録性・再現性を喚起させる。そして、それらの物語は向かうべくして一点に向かっていき予期せぬ裁判モノへ雪崩れ込んでいく。極々自然とした形で広がり、と深さ、を見せる重厚なドラマに身につまされる思いだ。一生残る身体的な傷・障害ばかりか尾を引く心の傷・闇。いつまで経っても振り払えない恐怖の記憶、おぞましい瞬間。そんな他人と共有できないものを一人悩み抱えながら生き残った者に何ができるだろうか?明確な答えの出ぬまま切迫していく疑問符、この問い掛けに意義がある。疲れるけどいい映画、余韻がすごい。

「ヨーロッパからイスラムを省く」「一番痛い所を突きたかった」
「こんなことがあってもいいのか」
「人々は怒るだろう」「法律ですから」
「世界中の精神科医が羨ましがってる」
「ノルウェーではなく君の裁判だ」「それは確か?」
「選挙運動が楽しくない、皆怒ってる」
「将来はわからない、無人地帯にいるようだ」「でも生き残った」「それで?」「わからない」
「法廷はノルウェーに良かれと思うことをします」
「始めたことを終わらせる。私は法廷で勝つ」「極右の人間を探して、彼と同じ主張の人間は一人ではないことを証明する」
"I can't live like this!!"「わからない、代われるなら代わりたい」
「あんたがわのオスロ」「だから明日は我々のものになる」
「でも帰れた」
「裁判をプロパガンダに使うなんて!」
「必要かも、向き合うことよ」
「ノルウェーとヨーロッパは真の民主主義ではない」「テンプル騎士団は愛国者のネットワークだ」「楽をさせてあげよう」
「泣きながら寝ることを?他人と話せないことを?死ぬのが怖いことを?」「奴の顔を潰したい、仇を取りたい。自分がしたことを分からせてやりたい。奴に勝ちたい」
「一人の暴力行為など目的の足しにならない」
「痛みと恐怖の世界に逆戻り。なぜ私が生きて彼女が死んだの?私の何がそんなに怖いの?」
「弱いところは見せたくない、奴の前では」「弱くても強い人はいる」
「体の使い方を覚え直して」「この世で名を上げる機会を奪った、きっと人のためになったのに」「この男の前で泣きたくなかった、強くいたかった、仲間のために」「彼にはない、彼は一人ぼっち」
「もっと上手く対処できた」
「仕事は全うした」「繰り返せるならまたやる、私が始めたことは他の者が終わらせる」「倒し続ける、私と私の子供たちが」
TOMATOMETER84
Critic Consensus: 22 July offers a hard-hitting close-up look at the aftereffects of terrorism, telling a story with a thriller's visceral impact and the lingering emotional resonance of a drama.
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