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ROMA/ローマのtsuraのレビュー・感想・評価

ROMA/ローマ(2018年製作の映画)
4.6
過去は白黒。だけど想い出はセピア色。

アカデミー賞の前哨戦の中に於いて重要賞の一つと言われる第76回ゴールデン・グローブ賞で「ROMA/ローマ」は監督賞と外国語映画賞の2冠に輝いた。
そしてこのほど発表された第91回アカデミー賞に於いても本年度最多10部門のノミネートとなった。
ひとつ、この作品を見て言えることだがこれは一点の曇りもない、まさに文句無しのノミネートと受賞だと思う。(至極真っ当な)

実際私はゴールデングローブでの受賞を前に鑑賞したのだが、これがまあ素晴らしい作品であった。

少なくとも私にとっては感情移入出来ずに終わっていった「ボヘミアンラプソディ」に感じた空虚はこの作品に対しては微塵も無く、鑑賞後も深い余韻といつまでも心に響くさざなみの様な、それはそれは人生の深い部分に沁み込んできた。

繊細でありながら太く逞しく、時間の動きはまさに流麗でありながら極めて大胆に人物を炙る。
それでいて精緻な描写と美しさを折り重ねた類い稀な傑作であった。


いつもなら駄文でも恥ずかしげもなく書いているんだけど、自分はあくまでプロの視点でも無ければいわゆる批評家でも無いがこういった高い次元の作品と出会うとどうしてもそのクオリティを誰かに伝えたくなる、話したくなる、人の想いを聞きたくなる。

だからどうしても批評家とか評論家まがいの"それっぽい"レビューになりがちなのだが、ここは恥じらうことなく、思った・感じた言葉を書いてそして、沢山の人に見て頂き感じて欲しい、その手助けになる様なレビューにしようと思う。

冒頭から述べているわけだが、この作品に触れたあなたは実に美しい時間を体験されると思う。

しかしながら美しさとは相反する様なそんな象徴的なものがいくつか介在していることを感じずにはいられない。

それがお陰で映画はより密のある仕上がりになってるわけだけど、、、そのメタファーに富む内容はいずれも印象的だ。

ストーリーはメキシコの中流家庭で働く家政婦クレオを通してその日常と、仕える家族の日々を描く物語で、いたって飾り気のないシンプルな出で立ちなのである。
それがしかしこんなに心を掴んで離さないのはこれが「家族」の関係を無数の「愛」で紡いでいるからだと思う。

ストーリーの核心には触れないが例えば、
ストーリーの冒頭からそれ程テキパキ感は無いけど(犬のフン処理が雑)子供がクレオになつく姿を目の当たりにするだけで心の奥底にあった懐かしさや子供時代の温もりを感じずにはいられない。


二つ目に取り上げたいのはこの作品は「水」が支配しているという点だ。

オープニングで水を流しながらタイル掃除を行う姿を描かずにその流体を被写体としてカメラに収めている。
(その水仕事が彼女の仕事ぶりを垣間見せる)
それは一つのツールに過ぎないが、クレオにまとわりつく様に水が存在する。

子供用ベッドを見に行った先で繋がる暴動で起きてしまった「破水」

家族を繋ぎとめたあのクライマックスでは「海」
とそれぞれの立ち位置や目線で水=命という解釈へと変わり人と人を繋ぐ存在として映画を構成している。(という感じで私は水を捉えたのだが如何だろうか?)


そして、男性の描き方である。
ここは自分なりに注目して欲しい部分である。

出てくる男達はいずれも権威やマスキュリンな薫りはプンプンと放つのに、ストーリーが動くにつれ、浮き彫りになってくるのは"ダサい"、言ってしまえば"不必要"な存在でしかない。

クレオの彼氏が全裸で登場するシーンはカッコ良い?振る舞いを見せてるつもりだろうがどう見ても滑稽そのもの。

またソフィアの"夫"のアントニオの自家用車なんてまるで男性器の様なエゴと見栄の象徴でなんとも解せないし、彼が持ち出した物は本や美術品ではなくそのハード(外見)となる棚などばかりであった。

途中出てくる武道の特別講師も見た目もダサく且つ、高い精神統一の先に見出した技もなんとも滑稽。

要するに彼等は見た目や、振る舞いを着飾っている又は、男性こそが優位にあるというただの見栄でしか無く所詮ハリボテにすぎないのだ。(同性として身につまされる笑)

かたや女性の描き方はどうだろうか。

ソフィアは母として不器用なりに懸命に家族の為に粉骨砕身するし寧ろそんなぎこちない母に代わって雇われの身でありながら"無償"の愛を捧ぐクレオには聖母の様な温もりを感じる。(終盤、車中で子供を抱きながら外を眺めるシーンの満たされた表情は感動すら覚える)

またキャスト陣の感動的な名演も忘れられない。
(ヤリャッツァ・アパリシオとマリーナ・デ・タヴィラは賞ノミネート前からノミネートされるだろうと思ってたけど矢張りノミネートしてくれて嬉しい)

昨今の#MeTooや#timesupの運動を直接的に示唆せず、この様なマイノリティーの問題や今だに横たわる差別を明示しながらこれ程迄に美しい映画へと昇華させるとは。

アルフォンソ・キュアロン自身の中で光り輝いてる、ある種キラキラとしていたものにも最大限のオマージュが捧げられており、それらが単なる家族と愛と女性賛歌の映画としてだけでなく彼と共にその時代を歩むような、ノスタルジックなアンソロジーとしても楽しめる。

それにしても。
冒頭にポエマーの真似事みたいに一言添えたけれど映像はたしかに白黒で撮られているけど全編感じるのは"色彩"の豊かさである。
それは黒澤明が白黒で撮影していた頃の様なフォーカスやピントに至るまで徹底したクオリティを感じた。

本作でも黒澤明宜しくと言わんばかりに太陽や煌々とした空を長撮りで収めているがそれはそれは溜息ものの美しい映像でこの映像美は体感して欲しいわけだ。(それ以外にもまるでスマホをスライドしたりスクロールするかの様な情景を舐める長撮りとパノラマ描写は圧巻)

私は本作をパソコンで見てたわけだけども耳に馴染んでしまうほど美しく繊細な日常の集音、海から放たれる波打つ鼓動の様な音に至るまで完膚無きまでの徹底にはアクション映画に見得る迫力とはまた違う圧倒的なパワーにひれ伏してしまった。

皮肉なのはこれが映画館でしか味わえ尽くせない徹底された映像美と音響とストーリーであることだ。

悲しいかな、Netflixという視聴コンテンツ。

やはり映画館で観たかったという気持ちは募るばかりだった。

作品自体は内省的でコミュニティの狭い世界がベースとなり、そしてスター不在。
配給会社はこれを収益を得れるか、というリスクに対して天秤にかけてしまった。
その博打をしなかったところを救って投資してくれたのが言うまでもなくNetflixだったわけで。

もし今作がアカデミー賞作品賞を受賞なんてなれば世界の映画事情が変わっていってしまうのではないかという危惧を抱えながらもついつい受賞を期待せずにはいられない。

世界がグローバリズムと疎遠或いは真逆に走り出してる中で、本作は言わずもがな家政婦クレオの無償の愛、ソフィアの母親としての決意や包容力はこの映画を通して見る者に幸せと感動で包んでくれるし、他にも「万引き家族」や「COLD WAR」(これは監督の両親の物語らしい)、「ボヘミアンラプソディ」も"バンド"という家族の物語だったし、大ヒットした「ブラックパンサー」も兄弟や家族の物語だった。

どうやら世界は(日本も)家族の愛に飢えてるらしい。

今年はどの作品の家族愛が評価され受賞に繋がるのだろうか、楽しみである。
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