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永遠の門 ゴッホの見た未来のスクラのレビュー・感想・評価

4.9
≪ゴッホの感覚を通じて、なぜあの時代にゴッホは生きたのかを知る≫

『潜水服は蝶の夢をみる』で有名なジュリアン・シュナーベル監督の7年ぶりの新作
監督と主演を務めたウィレム・デフォーが来日し、ジャパンプレミアが開催されると知って、
ゴッホ作品を追い求めてオランダや英国やドイツを行脚した私が観ないわけにはいかないと、
謎の使命感を元に参加してきました。

私の記憶が正しければゴッホは「門」を題材にした絵はどの時期も描いていないはずなので、
『永遠の門』とはいったい何を意味するのか、とても気になっていました。
(邦題だけではなく、原題も永遠の門となっています。)

舞台挨拶で監督が「これはゴッホを観る映画ではなく、ゴッホが見たものを彼の視点を通じて観る映画です」と
説明したように、映画の大半がゴッホの視覚や聴覚を意識したカメラワークで撮影され、独特な雰囲気を醸し出していました。
映画はゴッホがフランス・アルルに移る直前から晩年までを描いています。ゴッホの絵に大きな影響を与えたアルルの風景のみならず、
ゴッホがアルルで感じたであろう風や葉擦れの音が豊かに表現され、ゴッホの感覚を通じて、
私はあたかもゴッホのいた時代へとタイムスリップし、彼と一緒にアルルで過ごしているような感覚におちいりました。

「ゴッホは決して不遇の画家ではない」と監督は言いました。
ゴッホと言えば、生前は絵が売れず、ゴーギャンとの不仲により自身の左耳を切り落とし、
最期は銃で自殺した(他殺説もあります)部分が強調されてきました。
今回の映画でももちろん、耳切りから最期までのおきまりのエピソードも描かれます。しかし、それはゴッホという画家のたった一部でしかなく、
シュナベール監督はそんな一部分だけではゴッホを憐れみの目では見ず、
画家としての生を全うした彼がなぜアルルの地に惹かれ、その時代に生きたのかその意味を映画の中で表現しようとしています。

この作品は監督自身が画家でもあり、絵画を描くからこそ作れた作品で、絵画そのものやゴッホに対する監督の想いが反映されています。
その監督の想いがゴッホにとっての「永遠の門」を創り出したのでしょう。
そして、私たちも映画を観て、ゴッホの視点から南仏・アルルを感じることでゴッホが観た「永遠の門」を見つけるのです。
(何が「永遠の門」なのかはネタバレ考察になるので、<おまけ話>のあと、下の方に書きます。)


<おまけ話>
日本ではサム・ライミ版『スパイダーマン』のグリーン・ゴブリンの印象が強いウィレム・デフォーですが、
今回の作品では新たな一面を見せてくれました。
何よりも、ジャパンプレミアの舞台挨拶ではどの作中でもなかなかお目にかかれないおちゃめな姿や笑顔を見ることができたので、最高でした。
監督は監督で舞台挨拶してるのに「私の話はもういいでしょ?みんな映画観たいでしょ??早く観ようよ!!」と
自由気ままで独特な雰囲気でさすが芸術家と思いました。

以下、ネタバレ考察










「永遠の門」とは
私は「永遠へと続く門」と解釈しました。それはゴッホが魅了されたアルルの風景であり、それを描いたゴッホの絵そのものです。
ゴッホは花瓶を目の前にして、「花瓶の花はいずれ枯れるが、描くことによって永遠に残る」と言います。

ゴッホは自分が描いた絵が受け入れられないことに対して、なぜ自分の絵が世の中に受け入れられないのか、
絵画の才が神から与えられたギフトであるならば、神からの賜り物が受け入れられないということは、
神は自分が生まれ落ちる時代を誤ったのではないかと考えるのです。
それゆえに自分が受け入れられる未来へと残るように、アルルの美しい情景を絵画に写しこんでいったのです。

ゴッホが遺した絵画の数々は現代の我々を魅了し続けます。これはまさにゴッホの絵が「永遠の門」となり、
ゴッホの生きた時代と我々の時代を繋いでいるからこそです。

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