Few

ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語のFewのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます



自分が日々悶々としている風潮も、それに対するアンサーもすべてこの映画にあった。

「女にとって結婚は、経済問題なの」
まっすぐ胸に刺さる。男は、評価する側掬い上げる側にまわり、女の人生を握っている。ローリーがいくら「男ばっかり、つまんないね」と同情しても、女たちの現実が変わることはない。それすら悟っているローリーの顔つきも(クゥ…)となった。

最近、「女性は結婚することが幸せではない」と言いやすい世の中になってきた。街頭インタビューでもそう答える人も多い。と、同時に「私は結婚することが一番の幸せ」と胸を張って言える世の中ではなくなってきた。その要因はフェミニズムを履き違えた人が増えていることや、生活が貧しくなってきたこと、教育の至らなさ、多くの理由がある。

けれど、「私は結婚することが幸せだ」と言っていいし、思ってていい。言いにくくても、間違ってない。たとえそこに、男性優位の固定観念が滲んでいたとして、それをあなたが認め、あなたなりに愛おしく思えるのなら、結婚は一番の幸せであっていい。この映画には、そんな複雑で壮大で普遍的な葛藤を、しっかり捉えて向き合う作者とグレタ・カーヴィグがついてる。最強だ。
この映画に出逢えて、うれしい。

うろ覚えなんだけど、
ジョーが「小説にしては要素が小さい」と自分の書いた小説に暴力を浴びせはじめたとき、エイミーが「書いてはじめて、重要だってことがわかる」という旨の言葉をかけていた。

このシーンを目の当たりにしたとき、涙がぶわってせりあがってきた。どんな人生も名もなき人生だけど、それを何らかの形に起こしたときに、社会的問題を必ずしも孕んでいて、そこには考えていくべき問題や、共感して思わず涙がでるような瞬間だってある。

例えば、
ローリーの祖父が、「あの家にベスがいないことが、おかしい。」と溢していたシーンが鮮烈に焼き付いてる。
こういうときって、色んなことがわからないんだよな…

この映画にはきっと''わかっているけど、受け止めようのないこと''が辺りに広がっている。そこに登場する人々は、すれ違った関係を、失ったものと、どうやって生きていくかをみせる。
ときには、人を利用して穴を埋めることもあるかもしれない。しかし、それは必ずしも間違いではない。
物事の選択肢にマルバツをつけるのではなく、選択肢の種類をみせるやり方が好きだ、カーヴィグ!

ラストも、「おぉ、結婚するんだ」と思いきや、そうと言い切れない。
結婚するという行為は小説に委ねて、ジョー本人は自分が一緒にいたい人といるだけなのだ。
もっと細かくいうならば、
編集者に小説を持ち込んだときに、物語を友人という他者に委ねていたジョー。ラストでは物語を、小説のなかにいる自分という他者に委ねていた。この重なりがグッときた。


人生は物語である。

しかし、誰かに物語を押し付けられるなら、それは物語として描ききってしまえばいい。私たちは、物語の登場人物ではなく、筆を執る作家になる必要があるのだ。

この世界をどう乗りこなすかを考える作品。
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