"友情と信念の卵か鶏か"
天才黒人ピアニストであり、複数の博士号を持ち、教養と気品のあるドナルド・シャーリー。
粗野でわんぱくで無知なんだが、"悪いやつじゃない"イタリア系白人のトニー。
シャーリーのある"信念"が為に、敢えて彼は差別の色濃い深南部でコンサートツアーを決行する。
その道中を描くバディロードムービー🎞
2人の"対称性"
「相補性の法則」ってやつなのか、対称的なパートナーの掛け合いはリアルにも観る分にも幾分心地がいい。
自分の好きな友人も、自分のしない事ばっかりやる奴が多い。
常に気品あるシャーリーが、手でフライドチキンにがっつき、骨を車窓から放り投げるシーン。
Dearのスペルも定かでないトニーが、いつの間にかポエマーな手紙を仕立てているシーン。
お互い「何だこいつ...」の2人が互いに影響し合い、2人の要素が融合され友情に昇華されるシーンには、何とも言えない爽快感がある。
そして友情の昇華と共に進む"信念"の磨き込み。
(主には白人トニー視点ではある)
貫くものと、移りゆくもの。
自己肯定欲求を満たしたいだけのアッパー層相手に、信念を基に満面の笑顔でパフォーマンスを続けるシャーリー。
シャーリーの信念に触れ、粗っぽくも素直に自己変革を始めるトニー。
仲が深まり信念に触れるのか、信念に触れて仲が深まるのか。
どっちが先なのか分からない。
何処からともなく始まったこのサイクルが外の温度が下がる一方で、ハートの温度を上げ続けてくれる。
人種問題が根底テーマ。
観るのも苦しい差別描写も配置されていますが、痛快なユーモアセンス、醸成されるハートウォーミングと共に展開される130分に沈み込む"重さ"はない。
この描写に受賞後の物議はあるらしいですが、個人的には愛やユーモアが、苦しいテーマを少し上回るという全体の空気感は好きでした。
黒人差別問題への当事者意識の薄さ故なのか....
ブログリンク
http://filmooovie.livedoor.blog/archives/15901306.html