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ジョーカーのEyesworthのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
5.0
【咲き誇れ、道化と惡の華】

トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックスがバットマンの天敵ジョーカーを演じた。

〈あらすじ〉
治安最悪の大都市ゴッサム・シティで道化師として暮らしていた一人の孤独な男アーサー・フレック。ピエロメイクの大道芸人として、病弱な母を支える心優しい面もあり、同じアパートに住むソフィーに好意を抱いている。どんな時も笑顔で人々を楽しませなさいと言う母の言葉通り、コメディアンを目指してドン底から抜け出そうとするアーサーだったが、周りの人々に裏切られ続けることで、ある事件を起こしてしまう。そこからタガが外れていき、巨大な悪のカリスマ"ジョーカー"へと変貌していく…。

〈所感〉
ガキ使のTANAKERの企画の独特なダンスをする田中が大好きなのだが、元ネタを見た事がなかった。バットマン外伝的な映画だが、ある程度文脈を知っていれば誰でも楽しめる内容になっている。そこで、私はノーラン監督のダークナイト三部作を予習してからこの映画を見た。すると、『ダークナイト』での純粋悪のカリスマジョーカーという男にゾッコンになり、彼の生涯と素顔に興味を持った。こういう経緯の人は多いのではないか。見たい映画はすぐに見るべきだが、私はこの作品をずっと楽しみに寝かしておいて良かったと思っている。自分なりのジョーカー像ができあがっていたが、それが壊されることなく、寧ろこれこそが最悪の環境が産んだ闇の道化師ジョーカーだ!と憧憬を上乗せしてくれた。『タクシードライバー』のトラヴィスのような気の狂い方をしているが(こっちもロバート・デ・ニーロだ)、アーサーの場合は元々の病気で悲しく辛い時に笑ってしまう性質があった。よく人間は、心身が想像できない事態に見舞われた時に防衛本能として泣くことはあるように思うが、防衛本能で笑うというのは聞いたことがない。そのため周りの理解が追いつかず、いつも敬遠されてしまう。悲しくて笑ってしまう、という辛さは誰にも理解できない。それが辛すぎてまた笑ってしまう、という悪循環から抜け出せなくなっているのだろう。そして、そのようにアーサーがなってしまったのは間違いなく家庭環境の劣悪さだ。生まれる場所は誰も選べない。それでも、アーサーは悪にさせられた、という決めつけは犯罪者達への慰めにすらならない。彼は全ての悪を払い除け、悪そのものなることを望んだのだ。それがその辺の小悪党と彼の歴然たる違いだ。元は街の作られたピエロが、本物の道化師となって町中をカオスに覆う。そして権威に対する反発はラフレシアのように市内に悪臭を放つ花を咲かせる。この悪の成り上がり筋が最高である。ラストでもしかしてすべてが夢オチ?ともとれるシーンがあったが、それは観衆の想像に委ねているのだろう。実際アーサーがあのバットマンのジョーカーとは限らないし、彼に続いたピエロの一人が後のジョーカーであったのかもしれない。想像の余地が残された作品はずっと空想で不滅で粘土のようにこねくり回して楽しめるからステキだ。
今上映中の『ボーはおそれている』では中年で太ったホアキン・フェニックスだったが、この時の激痩せデニーロ・アプローチはスゴすぎる。彼は名声に甘えず、演技に命を張っている本物のハリウッドスターだと思う。
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