この世界に劇薬が放たれた。
危険物となる映画がメジャー映画として創られた意義。
これより危険な作品はある。
だが、これほどまでに共感を誘っておいてから闇の世界にファンキーに落とす作品は類を見ない。
徹底的に落としてから、軽やかに舞いながら発狂する。ダンサー・イン・ザ・ダークのようなのにカタルシス満載。
タクシードライバーがキング・オブ・コメディして、ファイトクラブのように覚醒する。邪悪なアメリカンドリーム。
完全に革命誘発が目的にしか見えない。しかも、世界中で予想以上の大ヒット。社会現象化してしまうのは今の世相に完全にハマるようにしているから。社会福祉の切り捨て、金持ち優遇制度という世界中の共通問題を高らかに壊そうとする試み、誰もが想像しても口にしない夢を実現しようとする。そこに正義はないが、哀しみだけはありったけあった。
大衆の目に入らず日の目を見ないアート映画にだけ許された憎悪と邪悪な思想が一般娯楽映画として解き放たれたカタルシスが凄い。
まさに映画そのものがジョーカーになった。
どこまで妄想なのか?
本当にジョーカーは存在するのか?
ラストは時系列的に何処にハマるのか?
様々な解釈が出来るが、それこそジョーカーの仕掛けた罠のようだ。
そもそも、ジョーカーは時代の鏡であり、社会の歪みが産み出した産物。ここまでそれを描いた作品もないだろう。
ギャングの時もあれば、出自不明のテロリストの時もあった。今回は病んだコメディアンである。
ここまでジョーカーの起源を描いておきながら、ジョーカーの正体とは何でも良いのだ、と思わせる作品もない。
ジョーカーとは誰でも良い。
何人居ても良い。
あのピエロの仮面を被った誰かがジョーカーになるかもしれない。
ジョーカーとは我々かもしれないし、我々が生んだのかもしれない。
それでも社会が欺瞞にまみれ、追い詰められた人々が生まれた時、必ずジョーカーは現れるだろう。
彼は正義と欺瞞に対する革命家だから。
この作品は実は紛れもないヒーロー映画なのだ。
バットマンではない真のダークヒーローの生誕を目撃すべし。