カニペンギン

ジョーカーのカニペンギンのネタバレレビュー・内容・結末

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

【メモ】
・ユーモアだけが「弱者」にギリギリの人間性を与える。では、ユーモアを他人と共有できない人間は、どのように人間性を示せばいいのか?
・メッセージ自体は素朴と言っていいほどシンプルで、「ダークナイト」と同じく5〜10年後にみたとき古くなっていそうな気がする。「そんなのは知ってて、みんなその先の複雑な問題に頑張って取り組もうとしているんですけど」みたいな。しかしだからこそ今このときの時代の空気の切り取り方は見事。
・上記の裏表ではあるが、時代の空気(今ならひとびとの怒り)を巧妙に金に換える才能というのがこの世にはあり、そのことについては意識的でいたい。秋元康を憎む。しかしこの映画ではホアキンが良い仕事をし過ぎた。
・「タクシードライバー」(や、少し意味が違うけど「ファイトクラブ」)から「男の」悲哀という側面を極力脱色させているのはさすが。女体、女の優しさ、母性、への執着の度合いのコントロール。
・「弱い男」が更なる弱者を撃たず、依存せず、「強い男」を撃つことの痛快さ。その意味でやはりジョーカーにはヒーローとしての素質がある。だからこの映画に「勇気づけらて」しまう。
・同じ階のシングルマザーとのシーンが本当に絶妙で、妄想含めギリギリの加害性に留まっている。と、思ったけど、そこに引っかかる人もいるかもしれない。しかしともかく「ポリコレ担当」の意見者を招いている印象(そしてこの「担当者」感はあまり良いことではない気がする)。
・バットマンのことはよく知らないけど、ジョーカーの出自が市長の息子じゃなくてよかった。血統主義への否定があった。そういう意味で脚本に一貫性があり、信じられる。喜劇っぽい始まりと締めも最高。
・右翼デモと左翼デモの雰囲気をちょうどよく織り交ぜたようなピエロデモが秀逸。
・ジョーカーが障害者であるという要素が映画のコンセプトを救っている。白人男性が「弱者」になることは今、それほどまでに大変か。
・そして「弱者」が「かっこよくある」ことは、今、これほどまでに大変か。
・喜劇とは無様であるということ。ジョーカーが終始どこかかっこつかないのがよい。
・最後のテレビショーでのジョーカーの演説、ちょっと普通すぎないかな?ジョーカーが切れ者に見えたらいけないから映画全体でかっこいい台詞を言わせられないのはわかるけど、だからこそあそこで語られる言葉はもう少しパンチが欲しかったように思う(同じく、冒頭の「狂ってるのは世界か俺か〜」のくだりも)。
・悲しみと怒りを優雅に表現する文化としてのダンス。
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