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ジョーカーのべのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
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端的に言えば『タクシードライバー』という骨組みに『キング・オブ・コメディ』で肉付けしてバットマンシリーズの記号を当てはめた様な作品。思った以上に上記の二作品及びマーティン・スコセッシの影響が強く出ていた様に感じる。例えば彼の作品に狂気的な性格を持つキャラクターが登場する場合、それをその人物によるPOVではなく敢えて俯瞰で撮影していることが多く、それによって私たちはその「狂気」を見せつけられていることの自覚を強いられる訳だが、こういったマーティン・スコセッシ的映像表現の影響も前面に出ていたと思う。
内容に関しては解釈が分かれる点(そもそもこの物語自体存在するのだろうか)も多く、これに関しては可能性の幅が広すぎるとは思うが、個人的にはこの作品の時点ではあくまでアーサーの脳内におけるジョーカー誕生譚だと解釈した。つまり物語冒頭から最後の暴動までが彼が精神科医とのカウンセリングの際に思いついたジョークであると考えた。この説に関しては根拠や理由をいくつか提示できるが、やはり同様の説を提唱している多くの方と重複するので割愛。しかし、この作品にとって本当に重要なのは一連の出来事が本当に起こったのかどうかではなく、それがアーサーの脳内に存在すること自体なのではないだろうか。つまり、一連の物語が彼の言う「ジョーク」だとしても、彼の中にこの物語が存在する時点でこの作品はジョーカー誕生譚として十分に機能し得るのである。
しかし、表現や内容が共に素晴らしいものであったが故に少し引っかかる点も。
正直な所、この物語は私たちの理解の範疇に収まりすぎていると感じた。ジョーカーと言えばバットマンシリーズにおける最大の敵対者であり、狂気的なキャラクターの代名詞的な存在とも言える。そんな彼の誕生過程を描いたこの作品だが、アーサーがジョーカーへと変身する動機や経緯が余りにも明確過ぎると言えないだろうか。障害を抱え、唯一の支えであった母親に幾度も裏切られ、憧れの人物に嘲笑われ、とアーサーに同情し得る要素が揃いすぎている様に感じる。狂気の権化とも言える位置を占めてきたジョーカーの誕生譚だからこそ、我々の理解を超える様な動機や過程を期待してしまった。それこそ、この作品に多大な影響を与えた『タクシードライバー』では主人公の動機の不明瞭さや万人の理解を超えるような行動が描かれており、更にこの『タクシードライバー』制作のキッカケのキッカケとなった『時計じかけのオレンジ』も同様にカルトじみた理解不可能な残虐性や恐ろしさが描写されている。これらの作品を観てきた立場からすると、『ジョーカー』は意味付けや動機付けが明瞭過ぎる様な、共感性が強すぎる様な、そんな印象を受けた。つまりプロパガンダとして機能しすぎているのではないかと。「誰もがジョーカーになり得る」というのにはやはり反対で、誰の手にも届かないような狂気性を期待してしまうというのはわがままだろうか。
しかしこの指摘は敢えて言うならの話であって、全体を通して撮影技法や表現、物語のどれをとっても素晴らしい作品だったと思う。
べ