「正義を成す、術の違いだ。」
富める者と貧なる者。
幸なる者と不幸なる者。
遇される者と虐げられる者。
奪う者と搾られる者。
強い者と弱い者。
さあて、正義とは、何だろうか。
それを僕は、社会の中で、秩序を保つこと、バランスを回復することだと考えている。
人は、普通に生きていたら、大して何も感じない日々を過ごしていく。
けど、現実には滅多にそんなことはない。
不条理な憂き目にあったりするものだ。
そんなとき、不満を持つだろう?
正義がないと感じるだろう?
今まで保たれていたバランスが崩れたとき、初めて人は正義が‘ない!’と思うんだ。
そして、そのバランスを回復することで正義は成されたと感じるのだ。
例えば、罪に対して罰が決められていることは、犯した罪に対してそれ相応の罰を与えることで、社会のバランスを回復しようとするシステムであり、まさに正義の現れだ。
問題なのは、どうやってその正義を成すか、という手段の違いに尽きる。
この世のすべてに限りがあるとするならば、富や幸せもありつける人には限りがある。
満たされている者は、無意識に正義が成されている中で過ごし、そのバランスを崩そうとする者を排除しようとする。
不満を抱える者は、満たされている者に対して、悲しみや怒り、妬ましさや憎しみを感じ、己の正義を成すべく、対峙していく。
ゴッサムシティは、こういう輪廻がどこよりも色濃く現れた街なんだ。
極端に幸せのパイが小さくて、不幸な人々が蠢いている街なんだ。
その中で、JOKERが産声をあげたのは、とても自然なことだと思う。
誰の心にも、正義を求める気持ちがあるけれど、正義を成す方法が違う。
その方法は、主観によって大きく揺らぐのかもしれない。
例えば、市長になって、正しいと信じる政治を行うこと。
例えば、富を持って、力をつけて、悪と信じるものを私刑に処すること。
例えば、自分を虐げる者を、あらゆる手で排除していくこと。
どれもすべて、正義を成すべく、秩序を保つべく、バランスを回復するべく、行動している。
ただ、やり方が違うだけ。
誰も彼もが満たされるためのリソースがないこの世では、こういう対立は廻りまわる。
永遠に、終わらない。
どこかで、誰かが、不正義に、泣いているのだ。
道化の涙も、生き様も、僕は彼の正義を感じた。