オーヒラケンタロー

メランコリックのオーヒラケンタローのレビュー・感想・評価

メランコリック(2018年製作の映画)
3.8
メランコリックをぶっ飛ばす、清々しい爽快感!

日常と非日常、ハレとケ、銭湯シーンと殺人シーンがシームレスに行き交う構成は実に奇妙で、それでいて暖かな美しさを感じる。

東大を卒業しながらも、定職につかず実家で毎日を過ごす主人公。異性どころか他人との関わり自体が薄い彼が、たまたま行った銭湯をキッカケに、あらゆることに巻き込まれ、人生が急加速で動き出すという本作。

なぜ、東大を卒業したら、企業に就職しなければならないのか?他者や世間といわれるものからのイメージに悩む彼。何か世間で渦巻く常識やマナーなどといったモノに合わせることが出来ず、苦しんだり、悩むのはスクリーンの中の彼だけでは無い気がする。


以前、なぜ挨拶をしなければならないのかと相談されたことがある。僕自身は正直、挨拶などどうでもいいと考える人間なのだが、そんな僕でも挨拶はする。
彼は別に挨拶をしたくない訳ではない。ただ苦手なだけなのだ。以前、彼は他人と挨拶した際に、声が小さい、元気がない、と言われたそうだ。彼にそんなことを言った他人はきっと、彼のことを思ってのことだと思う。けれども、彼はそれを理不尽に感じたようだ。

きっと二つに意見が分かれると思う。
彼に同意する人。他人と同じように挨拶ぐらい元気にしろという人。
彼が言った、カナヅチの自分がやっとの思いで浮いているのに、横から泳げる他人がなんで沈むの?なんでバタ足が前に進まないの?と言われてる気分だという例えを聞き大袈裟に思いながらも妙に納得してしまった。要は、なんで自分に出来ることが出来ないんだという他人と、アンタと俺は違う人間だという彼とのコミュニケーションの問題だ。ちなみに僕は彼のタイプだ。

ただ、この問題の厄介なところは、挨拶に悩まない多数派と、挨拶に悩む少数派の構図だ。そして世の中には自分が多数派だとそれが正しいと信じて疑わない人がいるのだ。恐ろしいなと感じる。

僕が彼の話を聞き出した結論としては、世の中には伝統やら礼節、マナー、常識などといった不確かなモノを何も考えずに信仰する他人がいる。そんな他人とも生きていかなきゃならないから、後で理不尽な面倒事に付き合うぐらいだったらとりあえず挨拶しといたら?というモノだった。
ベストな答えじゃないなと思う。彼の立場なら消化しきれない答えだったと思った。
後日、彼に会った時、彼は僕に元気よく挨拶した。


世の中には、挨拶が苦手で下手な人がいる。東大を出ても定職に就かない人がいる。水道、電気、ガス代をしょっちゅう払い忘れる人がいる。家族というモノにピンとこない人。寝坊が直らない人。
そんな彼らを少数派、ダメ人間と片付けず一人ひとりと向き合える人間になりたい。

そうすれば、この映画のラストシーンのようなひと時を迎えられる気がする。