Akiyoshi

運び屋のAkiyoshiのレビュー・感想・評価

運び屋(2018年製作の映画)
3.8
2014年に全米を驚かせた記事があった。
2011年、メキシコ最大の犯罪組織によるメキシコ〜デトロイトへの麻薬密輸が摘発され、大量のコカインを運んでいたのが87歳の爺さんだったのだ。

この運び屋を演じたのは御年88歳の映画界の生きる伝説「クリント・イーストウッド」である。ワーナーの英雄である彼がこの歳で主役を張ること自体に先ずは敬意を評したい。近年では、「アメリカンスナイパー」や「ハドソン川の奇跡」、「15時17分、パリ行き」などの実話を元にしたリアルヒーロー作品を監督として世に送り出して社会的意義を示している。だがそれは監督としてであって、誰もが主演作は2008年の大傑作(僕もオールタイム・ベストに入るくらい好きな)「グラン・トリノ」で終わったと思っていただろう。それに本人も当時は「終わり」と宣言していた。

伝説が動いた。「今のハリウッドには自分が演じられる作品がない」と謳っていた彼が、運び屋の記事を見た時に「これは俺しか演じられない」と語り「グラン・トリノ」の脚本のニック・シェンクと共に立ち上がったのだ。

人生の終着から見える圧倒的なまでの説得力がある作品を世界に運んだ。この年齢、人生経験から伝わるものが多い。だが実際に伝わらないものも多い。例えば社会人は大学生に「もっと遊んでおけよ」とよく言うが、大学生は社会人になってからその言葉を完全に理解する。社会人はとにかく時間が限られるのだ。時間を使う為に何を犠牲にし、何を得るのか。僕らは1日何度も選択をして、時間の使い方を決めている。

運び屋であるアールの人生は仕事に没頭するあまり、家庭を顧みない人生だった。娘の結婚式ですら欠席していた。アールの奔放さは、周囲の人間を変えていき、怖いと思うような人々すらアールに対して優しくなっていく。そんなシーンは微笑ましい。だがしかし家族との関係は悪化していく。最近の映画はあまり家族の話が出てこない。「若い世代に家族の暮らしへの興味が希薄になっているからでしょう」と「男はつらいよ」の山田洋次監督は語る。家族の話は観客の心に重く響く。本作品にもそれがあり、久しぶりに「しっかりと映画を観た」という感覚があった。また、イーストウッドの作品には家族との関係が拗れたものが多く、家族に対してちゃんと気持ちがあるものの、なかなか果たせず孤独でいる男を描く事が多い。孤独な運び屋のバックグラウンドを知ってイーストウッドが立ち上がったのは必然だったのかもしれない。

人生は1本の映画のようなもの。映画を作るのは自己表現の手段。イーストウッドは人生を伝え続けている。皮肉なことに捜査官であるベイツ(ブラットリー・クーパー)と麻薬を運ぶアールにはお互い共通の接点がある。「こうなって欲しくない」と語るアールにはとんでもない説得力があった。

ただ本作品が贈るメッセージは、アールは取り返しのつかないことをしたが、多くの人にはまだ時間が残されている。大切な人が生きてくれている。時間はギフトなのだ。ということだと思う。

アールに対して怒るシーンがある俳優に対してイーストウッドが「一体どうすればクロアチアに3対0で負けるんだ?」と言って歩き去った。サッカーW杯にてその俳優の祖国アルゼンチンの不調が沸点だとイーストウッドは知っていた。というエピソードが好きだ。

クリント・イーストウッド。生きる伝説が描いた物語。若い世代にも感じて動かすことができる彼の影響力に敬意を評し続けていたいと僕は思った。
Akiyoshi

Akiyoshi