キネマクロラ

ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒のキネマクロラのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

「コマ撮りにCGを持ち込むなんて邪道だ!」
そう主張する人に対するLAIKAからの返答がこの映画なのかも。

まずミッシング・リンクを「古いものと新しいものをつなぐ架け橋となる者」としたプロットが素晴らしい。名声に囚われた男、夫と過去から抜け出したい女、新しい世界(自分)を探す者。それぞれがたどり着く結末が清々しい。ビッグフットの名前の変遷は暗にLGBTを意図しているようにも思えた。
逆に敵は必然的に「古きものに固執し、新しきを受け入れない者」となる。環境の変化に適応できず絶滅したドードーの剥製がその象徴(笑)
旧世界と新世界をつなぐ橋(=もう一つのミッシング・リンクの象徴)がクライマックスの舞台となるのも頷ける。

もしかしたら冒頭に書いたようなセリフをLAIKAの人たちはコマ撮り界の重鎮から言われたことがあるのかもしれない。でもCGの恩恵もあって…というか大半は途方もない数のセットによるものだけど、半端ないスケール感の映画になっている。相変わらずLAIKAにはマゾしかいない。(←褒め言葉) コマ撮りだけでもやっていける最高峰の職人たちがCGも絡めてくるのだから、手に負えない。(←褒め言葉)
…とここまで書いといて何なんだけど、個人的にはコマ撮りだけの映像の方が好みだったりします。技術の限界が感じられたり、予算の都合が垣間見える瞬間があると、そこが愛らしくて、うふふと思ってしまうのです。そんな自分は旧人類なのか?新人類なのか?
そういう人きっと他にもいますよね!?仲間を探しに旅に出たい。(笑)

LAIKA作品は一貫して「ちょっと風変わりかもしれないけど、家族と呼べる人はあなたの身近にいる」というメッセージを発信していて、そこがほっこりする。安定して楽しかった。