ナチにもいろんな人がいて、って話にするには、あまりに兵士になるための身体へと調整されていた多くのドイツ・アーリア人種たちは統一されきっていた。
誰しもにジョジョのような内なるヒトラーがいて、彼との対話を通してより最適な兵士へと鍛えられていったと、歴史の語るところだ。
とりわけ、男には。
だからこそ、男vs女の図式がクリティカルなものとなる。女性を硬い男に対して、流動的なものとして描いたのはテーベライトだったろうか。
この映画では兵士へと最適化されんとしていた男・ジョジョが、女でありユダヤ人であるところの少女とでくわすことで激震する、その動揺を見せてくれる。
おもしろかったのはジョジョと母親との関係と、それを引き継ぐようにユダヤ娘との関係に移ること。通底しているのは優しさだろうかね。すばらしい痛手とそれを忘れてはやらないことへの朗らかさ。