らいち

新聞記者のらいちのレビュー・感想・評価

新聞記者(2019年製作の映画)
5.0
日本映画からこれほどの野心作が誕生したことに感激する。本作は、日本映画を1つ上のレイヤーに上げる。これまでアメリカや韓国映画でしか見られなかった挑発的ポリティカルサスペンス。権力を疑い、メディアを疑え。試されるのは国民、つまりは観客の眼だ。但し、本作は社会問題を提議するにとどまらない。正義への境界をまたぐ人間たちの葛藤と決断にこそ、本作の神髄がある。その生き様に打ちのめされた。冒頭から最後まで、空気を圧迫する演出がなされ、緊張の糸が切れない。翻弄されるキャラクターの心情を投影した照明・美術が素晴らしく、ドラマに奥行きと深みを与える。予想の斜め上を行く完成度。日本映画史の事件的傑作。

洋画と比べて自身の関心度が低い日本映画。本作も劇場鑑賞をスルーする予定だったが、好みが近しいレビュアーの人の評価をみて2週目にして鑑賞。なぜかシニアなおばちゃんの客層割合が、いつもより多くて新鮮だった。おばちゃんは座高を高くして見ないから、後ろから見づらいことがなくて助かる。。。

本作は完全なフィクションだが、取り上げられる話題から、現政権をイジっていることがわかる。但し、現政権への批難ではなく、どの時代、どの統治国家でも起こりうる権力の暴走を”可能性”として提示する。平たくいうと「信じるか信じないかは、あなた次第です!」的な陰謀説であり、映画ではそれを大真面目に現実味をつけて描いている。テーマをより浮き立たせるための脚色であるため、「あり得ない」などと目くじらを立てるのはナンセンス。映画と現実社会の距離を保てれば、後半にかけて散見される甘さも鑑賞中は全く気にならない。

内閣情報調査室という、普段聞きなれない組織が登場する。報道メディアの対抗措置として、情報操作を一日中やっている組織である。その実体は、現政権にとって不都合な情報を隠蔽するために機能する。ニセの情報を拡散し、誰かに濡れ衣を着させる、あるいは、国民の関心を逸らすために別の情報を流したりする。その過程で無関係な民間人を巻き込むこともしばしば。「政権の安泰こそが国民のため」という大義らしいが、大変な勘違い。国民を欺く政治は民主主義ではない。

政治には疎いのだけれど、選挙前の党首討論は、いつも変わり映えしない光景だ。野党は与党を政権から引きずり下ろすため、与党がしてきた政策を非難する。一方の与党も政権を守るため、野党が掲げる政策を非難する。こっちが聞きたいのは、それぞれが主体となって実行する未来の政策である。相手をディスったほうが、国民の共感を得られやすいと考えているのか、それとも、報道メディアが喧嘩する絵ばかりを流しているのか。いずれにせよ、政策ではなく、政権を握ることへの執着を強く感じる。そんな様子を見ていると、本作のような情報操作もあり得ない話ではないと思える。

「真実を決めるのは国民」。ときに報道メディアも操り、世論を操作する調査室のボスの言い分だ。調査室のなかで、そのボスから一目おかれる男が本作の主人公だ。外務省から出向組で、日々の仕事に罪悪感を持ちつつも与えられた職務を全うする。自宅に帰れば、可愛い奥さんとそのお腹には新しい命が宿る。住まいは高層マンション。つまりは高給のエリート官僚であり、男には何よりも守るべきものがある。

その一方、タイトルのとおり、調査室を睨む「新聞記者」が登場する。始まりは、新聞社にFAXで送信された不可解な文書。身元不明で、手掛かりは目を黒く潰された羊の絵だ。あとで、その絵の意味が明らかになるが、目隠しをされた国民のメタファーにも思える。その文書の謎を解明するミステリーが、調査室の男と新聞記者を運命的に引き合わせる。

新聞記者はアメリカで生まれ育った女子。報道によって父親を殺された過去を持ち、その出来事が彼女を新聞社で働かせるモチベーションになっている。演じるのは、韓国人女優のシム・ウンギョン。非常に面白いキャスティングだが、政治色の強い映画だけに、日本の女優ではキャスティングできなかったという噂がちらほら。いやいや、そんなの関係なしに彼女のキャスティングは英断だった。彼女の回想シーン、悲しみと怒りがせめぎ合い嗚咽する演技に圧倒され、描かれぬキャラクターの背景がみえてくる。あの若さであれだけの演技ができる日本の女優ってどんだけいるのだろう。

自分が本作に強烈に惹かれるのは、女性新聞記者「エリカ」と、調査室の男「杉原」のドラマだ。対立する関係にあった2人が、1つのゴールに向かって共闘する姿と、その背景にあったもの。大きな代償と共に、ジャーナリズムの正義、人間としての正義が振りかざされ、エモーショナルを強く揺さぶる。杉原演じる松坂桃李の名演はいわずもがな、俳優として本当にいいキャリアを歩んでいるなーと感心する。

ありがたいのは、政治モノ、報道モノ、という一見、とっつきにくいテーマを扱いながら、非常にわかりやすい娯楽映画になっていること。善と悪の構図が明白で、ダースベイダーとして君臨する調査室のボスの存在が効いている。冷徹な佇まいで威圧する田中哲司の怖さに何度も凍る。また、照明や美術が、物語の状況や登場人物たちの心象を語るアイテムとして作用しているのも特徴的。悲劇を目前にして杉原の世界が崩れる様子を、枯れ葉で見せるシーンなんて本当に映画的。

政治関係者だけでなく、いろんな方面で敵を作りそうな本作は、その意味でタブーに踏み込んだといえる。お金を払った人しか鑑賞できない「映画」という映像作品だからこそ実現できたと思う。製作陣の情熱に拍手を贈りたい。
らいち

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