雑記猫

天気の子の雑記猫のレビュー・感想・評価

天気の子(2019年製作の映画)
4.3
 前作『君の名は。』を経て大衆映画の勘所を掴んだ新海監督が、思春期男子の女子に対する憧れや視野狭窄による大人への不信感、青臭いヒーロー願望といった自身の作家性を一歩進んで押し出してきた感のある作品。


 本作は、子供(帆高、陽菜、凪)、大人(警察)、大人になりきれていない大人(圭介、夏美)というおおまかに三階層に別れた登場人物たちが登場するのだが、そのうち、子供と大人のどちらの目線で見れるかが本作の評価の分水嶺となっている。ごく狭い視野と知識で世界を見ている子供の目線で感情を拾いながら見ると筋が通っている物語なのだが、客観的事実を拾いながら大人の目線で見ると、主人公たちに「何をやってるんだ、コイツらは」と呆れて終わってしまう。ただ、これが本作の主たるテーマなので、どちらの感想に落ち着いたとしても、それは本作が意図した反応であろうと思われる。


 本作では主人公の子供たちが抱える問題は大きく二つあり、一つは陽菜を人柱として異常気象から世界を救うか否かという問題、もう一つは大人たちによって子供たち3人が引き離されてしまうかもしれないという問題である。前者はファンタジー、後者は現実社会の問題でありながら、最終的な帰結はどちらも同じであるというのが本作の肝。まず、後者の問題であるが全ての事件が解決した後のエピローグで、子供たちが抱えていた離れ離れになるかもしれない、警察に捕まるかもしれないという問題は、本人たちが深刻に捉えていただけだということがあっさりと説明される。帆高は普通に高校を卒業できるし、陽菜と凪は普通に保護されるしで、子供たちの作中での逃避行にはどれも結果的には意味がなかったことが示される。 一方、クライマックスで帆高が陽菜を晴れ女の役割から引き剥がすことにより東京が水没するのだが、ラストの圭介の指摘通り、これも子供たちが自分ごととして自然現象の責任を引き受けすぎていただけで、そもそも彼ら彼女らにはそれを変えるだけの力はなかったかもしれないことが示唆される。このようにリアリティの全く異なる2つの問題が、大人からすれば子供が実在しない問題に勝手に不安がって暴走していただけという同じ帰結に至るのである。しかし、神の視点に立つ観客からすると明白なように、帆高と陽菜は晴れ女の代償を払わない選択を取ることで確かに世界の有り様を変え、そして、その事実は世界中でこの2人しか知ることはない。これと同じように、警察や児童相談所から逃げ回った子供たちの様々な足掻きは、子供たち以外には理解され得ないが、それでも彼ら彼女らには確実に大きな意味のあることだったのである。しかし、それでも、大人の客観的な目線で見ると、彼ら彼女らの行動には全く意味がない。だから、客観的事実を積み上げる形ではなく、感情の流れを拾いながら見なければ本作の着地点を理解することは叶わない。子供の頃の悩みはだいたいしょうもない。だから、大人は子供の悩みに取り合えないし、取り合わない。それでも、子供たちの悩みはその瞬間は子供たちにとっては世界を揺るがすほどの一大事なのである。この子供と大人の非対称性こそが本作の最重要テーマとなっている。


 かなり分かりやすい物語的構造を持っていた前作『君の名は。』と比べると、少し複雑な構造を持つ本作。基本的に帆高の青臭い無軌道な生き方にヤキモキしてしまう作品だが、最後に恋人と世界平和を天秤にかけるよくある展開で、恋人を選んでしまうところまで突き抜けてしまう本作は前作とはまた異なる爽快感を持っている。これも普通の作品ならば悪役のとる選択肢であり、だからこそ、大人目線だと全然良い話じゃないのが非常に良い。
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