白眉ちゃん

ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネスの白眉ちゃんのレビュー・感想・評価

4.0
『狂気を癒す少しばかりの愛』


 平行世界を行き来する少女に「アメリカ」の名を冠し、星形のポータルを通して異なる法則や因果律で成り立つ世界を垣間見せる。ここでの星は紛れもなく星条旗であり、州ごとに独自の法律を持ちながら、乱暴に言えば幸福や豊かさの思想の異なるアメリカ社会を表している。多元宇宙と多様性社会を重ねる意図がこのキャラクターの基本設定とアイデンティティに基づくドラマとして組み込まれていると言える。アメリカ・チャベスは正しい世界線(理想の社会)に戻れることを希求しながらユニバースを彷徨い歩いていく存在である。

 加えて、ここに愛する人からの愛を得られない世界線に生きる2人がいる。ドクター・ストレンジとワンダ・マキシモフ。ワンダのその痛ましい心中については、愛の屈折とシットコムのメタ的構造を巧みに絡めたドラマ『ワンダヴィジョン』('21)に詳しく描かれている。望まない人生を歩む2人。そんな中、ワンダが現実逃避の為にアメリカ・チャベスの能力を求めたことで境遇を同じくする2人が対峙することとなる。今作ではワンダの愛の狂気をサム・ライミ監督の原点であるホラー映画のテイストで演出される。

 サム・ライミと言えば低予算のホラー映画『死霊のはらわた』('81)の大ヒットによってキャリアをスタートさせた監督である。同作は森の小屋で見つけた「死者の書」の禁を解いたことで若者たちが悪霊に襲われるストーリーで、次々と残酷に殺されていくスプラッター要素と悪霊の憑依によるスピリチュアル・ホラー要素のあるホラー作品である。あらすじを聞いてわかるように今作の『マルチバース・オブ・マッドネス』はライミの原点作品のプロットを踏襲しているのである。また全編にわたり、古典的なホラー演出や監督の過去作で見られたシグニチャーに溢れている。後半の音符バトルのようにホラーに音楽要素を加える演出やライミ作品の常連俳優ブルース・キャンベル扮する屋台売りがドクター・ストレンジの魔法によって自らの手に襲われるシーンは『死霊のはらわたⅡ』('87)を思い出させる。また冒頭のニューヨークでの戦闘ではアメリカ・チャベスを建物の縁に放り上げたり、第三者の迫真の表情をとらえたりと『スパイダーマン 』('02)を観客の脳裏にチラつかせる。脚本の面で言えば基本設定を『死霊のはらわた』としつつ、愛する人と一緒に居たいが為に倫理のタガが外れていくワンダの感情曲線は『ダークマン』('90)のようでもある。個人的に面白かったのは終盤のストレンジが闇落ちした別次元のストレンジと対峙するシーン。ストレンジであることの証明として、誰にも話したことのないであろう亡妹の落水事故を語る。このエピソードは同じく平行世界を描いた古典映画『素晴らしき哉、人生!』('46)のエピソードからの引用である。このように散りばめられたセルフ・パロディや古典のオマージュが決して理路整然としているとは言えない脚本に即物的な楽しさを提供している。

 今作で描かれる「現実逃避としてのマルチバース」は先の『スパイダーマン :ノー・ウェイ・ホーム』('21)でも触れられている。正体を暴かれたピーターは「誰もスパイダーマン の正体を知らない世界」を希求する。しかし、それによって別世界のヴィランを招いてしまった彼は、(FixとCare)でヴィランの問題と向き合い、自分の現実にも辛い決断を下す。ここでピーターがヴィランを更生させる選択をしたことはストレンジをも驚かせることとなる。MCUにおけるマルチバースやラノベにおける異世界転生など、現実逃避としての平行世界は現代の人気要素であり人気コンテンツと言えるだろう。だがある程度、現実の人生経験を積んできた人なら「今、歩んでいる人生を愛すよりほかない」とこの命題の解答に辿り着いていることだろう。それ故に別世界の「イルミナティ」などという胡散臭い組織に人生の主導権を握られるわけにはいかないし(たとえMARVELファンが彼らに何を期待していようとも)、ラストでウォンが「この人生に感謝している」と答えるように現実を肯定することが肝要である。そしてワンダもまた、別世界のワンダの「私が愛します」の一言で現実への憎悪の矛を収める。ストレンジ作品だからと言って彼がワンダを打倒してしまっては彼女はただの悪役になってしまう。別世界のワンダの「私が愛します」は息子たちのことを指しているが、同時にどんな人生を歩もうとも自分を見捨てたりしないと自身を許容しているようでもある。

 どの世界線のストレンジも同種の傲慢さを持ち合わせているように、生来の性質は変えられないものなのかもしれない。自分のネガティブな性質と向き合い、理解し、受け入れることは大変に過酷である。今作で人気のあるワンダを孤独に狂った女という思い切ったキャラクターに振り切ったことを素直に面白く感じる。全体的にこれほど監督の作風に偏ったのは他でもない『スパイダーマン 』シリーズの多大な貢献のあるサム・ライミだからであろう。またフェーズ4に入り、太古の昔から人類を見守ってきただとか、マルチバースが、別の銀河系がと壮大になっていく MCUの物語に対して、「目の前の自分の人生を肯定する」そんな私的な物語がカウンターのように心地よく、この先もシリーズが続き、後に振り返ったとしても異色作として位置付けられるであろう独立した愉快さを確かに感じられた。

映画に於ける性質の変化が主人公性の条件ならば、語られるべきは女たちである。そこもまたサム・ライミ作品らしさである。
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