幽斎

シークレット・ヴォイスの幽斎のレビュー・感想・評価

シークレット・ヴォイス(2018年製作の映画)
4.2
前作「マジカル・ガール」で長山洋子の劇中歌で度肝を抜いた日本愛は本作も健在。前作で偽物をシニカルに描いたCarlos Vermut監督の模倣の対立軸をアップデートした脚本が秀逸。母と娘をドッペルゲンガー的立ち位置で、心の闇を饒舌な映像美で描く様は、歌舞伎のニュアンスも秘める。

【ブランカの視点】10年前に引退したリラを支えたが、リラは自分の人生を賭けて作り上げた商品で、リラの財産で自身も生活する相互依存。金が尽きて歌手として復帰させるのは誰の為か?彼女はリラが復帰しないと分ると直ぐに去る。リラを海で助けた事で、別の家族が崩壊するのは宿命なのか?。

【マルタの視点】「娘は母親を模倣するが所詮はコピーに過ぎない」女性心理を紐解く時に思い出す友人の名言。ヴィオレタは娘の為にシンガーソングライターを諦めた。「娘さえ居なければ」と思いながら育てた。マルタの生き方には全く共感出来ない。しかし彼女は常に自分が母親に愛されてるか疑心暗鬼なのだ。母が浮気をしたり、知らない人の家を尋ねると家を壊し喉元に刃物を当て、愛情を試す行動に出る。それが本当の命取りに為るとも知らず。母が真剣に娘と向き合えば、この悲劇は防げた。「胸糞悪い最低な娘」と吐き捨てる人は、余りに思慮が無さ過ぎる。

【ヴィオレタの視点】彼女が一端の人間で有る事はブランカのテストで証明済。唯一無二と信じるリラと交流するのも束の間、究極の二者択一を迫られる。歌を忘れたカナリヤを復活させた彼女こそ唯一無二の存在で、オリジナルそのもの。娘を殺した事で、残された道は1つだけ。リラの復活を最前列で見届けた彼女は、リラから貰った衣装(リラが自殺未遂した衣装)を着て、リラに案内された海で命を絶つ。リラは2度死んだ。彼女の「やりなさい!」はスリラー界に残る名シーン。

【リラの視点】母を模倣した娘はブランカにプロデュースされ大スターに。しかし名声を得られない母は薬物中毒と為り、娘に過剰投与され死に至る。模倣すべき存在を失ったリラは自殺を試みる。記憶喪失の原因は自ら封印したい過去を蘇らせたくない防衛本能。しかし唯一無二の存在であるヴィオレタと出会い、生贄のマルタを差し出されて記憶が甦り、ヴィオレタの曲を聞いて歌い方も取り戻す。芸名をヴィオレタ・カッセンに変え見事に復帰デビューを飾る。彼女はヴィーガンだが「生きた獣を食う」とも言った。1度目は母親を、2度目はヴィオレタを。ヴィオレタからシームレスにリラに歌声が変わるラストシーンは絶品。1番をヴィオレタが、しかし2番から歌声はリラに変化してる。こんな鮮やかなスリラー見た事ない。

溢れる日本愛 ①「カラオケ」正にコピーそのもの。②「船の折り紙」飛行機や車と違い船は鉄を溶かせば何度でも作り直せる。それが美の象徴「鶴」に変わる事で唯一無二の存在を暗示。③「ムード歌謡」友人が「これ歌謡サスペンスだな」と上手い事言ったので使わせて貰います。監督がインタビューでリラのモデルにちあきなおみを挙げてた。夫を亡くした時に私も燃やしてと号泣し芸能活動を休止した伝説の歌手。日本人より知ってる(笑)。

François Ozon監督を思わせる意味深な映像美は、他者を俯瞰する優れた構図と、多くを語らず観客を信頼した演出で、登場人物に余白を残した見事なサイコ・スリラー。やはり娘は母の様にしか生きられないのか?。

女性の重層的な心理をこれだけ丁寧に描いた作品を観た事ない、これは隠れた傑作です。
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