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王国(あるいはその家について)のnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.2
 今年観た映画の中でもさっぱりわけのわからない映画で、草野監督自身が私自身も何を撮っているのかさっぱりわからないまま今作を撮り、撮り終えた後も答えは出ていないと語るくらいだから、観客にはわかるはずがない。上映終了後に、はたのこうぼうのメンバーでもある高橋知由さんのシナリオを買って読んだところ、今作には当初、はっきりとした物語構造があったのだとわかる。出版社の仕事を休職中の亜希(澁谷麻美)は、⼀⼈暮らしをしている東京から、1時間半の距離にある実家へ数⽇間帰省をすることにした。それは、⼩学校から⼤学までを⼀緒に過ごしてきた幼なじみの野⼟⾹(笠島智)の新居へ⾏くためでもあった。野⼟⾹は⼤学の先輩だった直⼈(足立智充)と結婚して⼦供を出産し、実家近くに建てた新居に住んでいた。然しながらその家の様子は亜希の証言や台詞から語られるのみで、一向に映像化されない。刑事による供述調書を「これって何をしてるんですか?」と返した亜希の言葉のように、我々観客は今観ている映像そのものを疑い、物語の基本構造すらも疑って行く。

 夫が「暗号回線」と揶揄する秘密めいた衝動を亜希と野⼟⾹は共有する。それは幼馴染ゆえの親密さであり、双子のようなシンクロを見せるのだが、夫であり、大学の先輩だった直⼈には永遠にわかり得ない境界線とも言える。夫婦としてどんなに時を過ごしたとしても変えることが出来ぬ過去と、かつてどんなに通じ合ったとしても不可逆的な未来とが野⼟⾹を見つめる亜希と直⼈の心情を少しずつ引き裂いて行くのだが、映画は始まりと終わりのほんの数10分しか描いていない。それでは残りの130分あまりをどのような映像で繋いでいるのかと言えば、3人の役者がリハーサルでシナリオの本読みを何度も何度も繰り返すことで紡がれて行く。同じテキストは別の場所や違う並びで何度も何度も反復されて行くうち、そこに微妙な差異が生まれる。時にはシークエンスを何度も入れ替えながら、時に監督の声が聞こえたり、時には娘の自転車を運ぶ本番に限りなく近い映像が登場し、必然的に役者の声も熱を帯びる。滝廉太郎の『荒城の月』でさえも一度として同じ音量やトーンで歌われることはない。役者の身体から導き出したテキストを真に猟奇的な物語の空間を埋め合わせることで、メタフィクションにして向かう草野なつかの大胆な試みと奇妙な映像体験。
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