王国(あるいはその家について)の作品情報・感想・評価

『王国(あるいはその家について)』に投稿された感想・評価

「私たちの王国を間違った出来事だと思わないでください」

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面白かったぁ。映像素晴らしい。

僕は演技についてのアカデミックな考察はまっっっったくできないし、、
アカデミックな考察をされているレビューを読んでもほぼ意味がわからないレベルのことをやっているんですけど、、

シンプルにずっとサスペンスフルで面白かったです。

映画の本読みとリハーサルが繰り返されるので、
同じシーンが何回もやってくるんだけど
映像の素晴らしさもあって
繰り返すほどにサスペンス性が増すと言う、
割と奇跡的な成功を収めてるんじゃないですかね。

計算でやろうとして達成できるレベルのものではないと思うんですが。。

観る機会があったらぜひ喰らいついて見てくださいな!

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前作『螺旋銀河』ではタイプの違う2人の女性が同化していく様子が描かれていて、
今作でも、共通認識としての(とても排他的な)〝王国〟を持っている幼馴染の2人の女性が描かれている。

排他的な〝王国〟を持つことで強烈に結び合っていた2人だったけど
1人が結婚し夫と娘を得たことで2人の王国は過去の思い出となってしまった。

東京と地元に離れ離れで暮らしていた彼女らだったが、一人が心を病んだことで地元に戻り、2人の関係は再開する。

どちらにとっても過去のものとなっていた王国だが、
確かに過去には存在し今もあるかもしれない王国を追う1人と、
現在は夫と娘との3人家族の暮らしがあり彼女との王国どころか今の家族とも〝王国〟という概念さえ不必要になってしまった1人。

そして起きてしまった幼女殺人事件。

1人は何故幼馴染の娘を殺してしまったのか。
それを遡って語っていくサスペンス。

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↑というのが台本上の物語。ですよね。

で、この台本を持った俳優3人による本読み、リハーサルの繰り返し。

繰り返すことで俳優自身に役が入っていく過程を楽しむ、、
というよりは
観客が背後の情景が見えてくる感じがしました。

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もういいや。レビューするのが虚しすぎる。

どっかの配信会社!さっさとこの映画配信しなっ!!
akihiko810

akihiko810の感想・評価

3.6
期間限定無料配信。150分の朗読劇

友人の子を川に落とし殺した女性の取り調べから始まる。なぜ彼女は殺したのか?

役者(と思われる)3人の男女が台本に書かれた台詞(と思われる)言葉のやり取りを繰り返す様子をタイムシャッフル(と思われる)させて見せる150分。

要は、二時間半、演劇のリハーサルと読み合わせとして、同じ会話がずっと繰り返される。事件の映像を一切見せず「本読みのリハーサルだけ」を並べて一本の映画にした実験作品。

「繰り返される日常の些細な差異から人生とは何たるかを自問自答するホン・サンス監督にも通ずるテーマ。」という評をみかけたが、私はホン・サンス作品をみたことがないのでよくわからない。濱口竜介監督の「親密さ」なんかがテーマ的に近いと思った。

映画としては異質で、かなり実験的。面白いとは思うが、2時間半と結構長く、見るのに根気がいる。今日はそんな根気がなかったので、飛ばし飛ばし見てしまったので、面白さはそこまでわからず…。

配信終了間際なので、不思議な映画体験(映像体験はできないが)したい方は観てみたらいかがか。
「ときどき考えるんだよね、そういう密度の濃い、凝縮された時間っていうのがたまに、突然やってくるの。なんていうか、自分が物語の中にいるみたいな。でもその密度がどれくらい濃いのか、リアルタイムではあんまりはっきりしなくて、後からしかわからなくて、いつ訪れるのか、どれくらい濃いのか、全然予測できないの。ただね、それは、その後の人生に確実に影響する」

・お城、顔、歌、合言葉、声  
テクストのすべてが何かの比喩にも思えるし、テクストのすべてがそれそのものにも思える 

・本当にこれは稽古を積み重ねたものなのか、逆転させているのだとしたら というか、どうしてそれを信じることができてしまっているのか、という、このこと 

・演じる者は台本を読んでいるから、自分がいない場面で起こっていることを知っている

・テクストを読む私を演技する カメラの前ではすべてが「演技」になる 

・「カット」がかかってからの一瞬の顔 

・演劇・映画は語られていないものを見せる

・演劇は一回観ただけではわからない 執拗な反復によって演劇はできあがるから

「「何者でもないものが、そこに立ちあがったとき」が、「理想の状態」なのかなと私は思います」 
(小田香×草野なつか×小森はるか「理想の瞬間はなかなか訪れない」文學界12月号)
ぴょん

ぴょんの感想・評価

4.5

このレビューはネタバレを含みます

人間の関係の変化の描き方としてとても面白かった。

何度も反復される台詞に少しずつ動きが、心が、風景が与えられていく。不思議な見せ方。
出来事の断片、台詞と場面の再現を繰り返して背景を浮かび上がらせていく。

最初は意味が分からずただの音として聞こえていた台詞の意味が徐々に分かってきたり分からないままだったりするのは千葉さんの言う言語の玩具的使用、非意味的形態の感覚があぶり出される感じがした。

王国というテーマについて
領域を作ることはすなわち排除を意味する。
なおとがコントロールする家の空間と、全てに言語化が求められる関係はあきを締め出し、
のどかとあきの子どもの頃の記憶、言葉を必要としないコミュニケーションはなおとを締め出す。
東京に行こうとしないのどか、排除の言葉に対するあきの問いかけに直接答えようとしないのどかが印象的。

エンディングの落書きのような王国の絵を見て、PS2のゲーム「Rule of Rose」を思い出した。表現の仕方やテイストは全然違うが、少女達が過ごした密度の濃い凝縮された時間とその喪失、相手を愛するあまりに相手の大切な存在を異物として排除してしまうという部分では似たテーマを扱っていると感じた。
排除の言葉を告げたにも関わらず、再びあきを呼んでしまったのどかの行動に決定的な違いが集約されている気がする。
これは映画のリハーサルを収めたという体だけど演劇の稽古場を経験した人間からすれば実験的でもなんでもなく反復される稽古時間そのものが流れていた。王国をめぐるドラマの強度を極限まで引き上げる稽古時間。冒頭のシーンはある種のエクスキューズというか長尺を保たせるためのサスペンス。GRIMのHeritageが流れるラスト2分にぞっとするものがありここだけは純粋に映画的だと感じた。もちろんずっと映画ではありますが・・
okawara

okawaraの感想・評価

4.1
たとえば濱口竜介的な芝居議論と異なるのは、氏が身体性に何らかの活路を見出そうとしているのに対し、本作は「身体を伴わない主体」や「読み上げられないテキスト」にこそドラマツルギーを求めようとしているところにあると思える。そしてその副次的な(または意図的な)結果として、他人の子どもを殺めるという刺激的なモチーフさえも、その直接的な残酷さは回避され、むしろそれに至らしめる孤独という不気味さを、まさに映画の主題として、ノイズを伴わず提示できていることは、この作品の発明性を十分に証明しているだろう。
何よりも劇中劇が議論する、家すなわち避難場所となり得るはずの空間の脆さが途方もない深刻さを纏っていて、これはしばらく心に残る作品だと感じた。
明宏

明宏の感想・評価

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海外配信サイトで鑑賞。
英語字幕が出るので、初めはそっちを読んでしまう感じがあり少し気が散った。
しかし、この映画の多くのシーンが台本の読み合わせなので、段々と画面下部に字幕が現れること自体に不思議と必然性を感じてきて面白かった。(英語字幕だけど)

観たことない形式が新鮮で面白く、こういう実験的なことをしてちゃんと面白く見せられるんだから、作る(とりわけ編集)のが上手いんだなと思う。
豚肉丸

豚肉丸の感想・評価

4.7
幼馴染の親友の娘を川に突き落として殺した女。取調べの最中、彼女は「私はとっくに裁かれた」と意味深な発言をするが……というお話

面白すぎる。
2時間半、ずっと永遠と同じ会話を繰り返すだけの……まさに実験作と言える構成の映画。なのに、その会話の反復が非常に面白いのだ。噂には聞いていたけど、実際に見てみたら本当にとんでもない構成に慄くしかない。

「演劇の読み合わせ」という名目で映画は進んでいく。題材は親友の娘を川に突き落として死亡させた事件で、登場人物は本人達。
何故事件に至ったのかの経過を、本人達は何度も何度も繰り返す。会話のテンションも、イントネーションも、全て一定に揃えて、何度も繰り返す。会話の時系列はそれぞれが独立していて、一つ一つの会話が浮遊しているような感覚を覚える。しかし、会話が反復される度に、それぞれの会話が一本の糸で繋がり始め、映像がハッキリと浮かび始めるのだ。
同じ会話が連続で繰り返される時、カメラは以前のカメラでは映さなかった人物の表情を映す。それ故「この時、この人は何を思っていたのか」がわかりやすく描写されるようになって……この表情を映す演出が、一番最後の読み合わせの時に効果的に用いられる。この時の表情は本当に凄すぎる。

映像も変わり映えはしないし会話は前聞いた会話がずっと続くだけの2時間半なのに、飽きずに最後まで見られるのは本当に凄いと思う。濱口竜介監督もそうだけど、言葉で人の意識を惹きつけられる会話劇には時間を超越する力が宿っているよね。多分。
徐々に変化していく役者の身体を感じつつも、最終的には物語が整理され、リフレインされたものがまた表れるのが怖い
繰り返されるセリフから言葉が徐々に昇華していき、セリフの内側に宿る非言語的な感情の歪みがあらわになる。
それらによって脳内で現像された全貌は、映像で見るより密度の濃いものを訴えかけてきた。

理解はできても言葉で説明できないもの。説明しようとすると嘘のようになってしまうもの。情景や時系列までを排除し、一見不親切な反復の中だからこそ、観る者はそれを体感できるのかもしれない。

形は違えどその核は、個人的な経験や浴びてきた言葉の奥と共鳴するものだった。
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