ヘコ

家族ゲームのヘコのネタバレレビュー・内容・結末

家族ゲーム(1983年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

メモ
■家族
部屋に対して異常に横長な机。窮屈に横並び、皆が無意味に忙しなく、わざとらしく咀嚼音を立てながら食事する。煩いことを気にも止めないほどの無不穏な関心さ。

■母親
我が子がイジメられているのを知っているにも関わらず何もしない。夫が目玉焼きの黄身だけを啜って食べることすら知らない。「一晩中踊れたら」のレコードをかける、劇中で音は流れない。

■父親
大事な話をする時、車へと誘う。つまりどこまでもこの人は顔を見ず向き合って話そうとしない。

■茂之(弟)
来客がいるのにパンツ一丁になる奴がどこにいる。
宮川一朗太は沼田顔。
「下着取り替えてたのー。」???


■授業の先生
・成績の悪い生徒の答案用紙を丸めて校庭に投げ捨てる最悪教師。

■家庭教師
・ろくに教えようともせずに植物図鑑を読み耽り、生徒への脅迫を重ねる家庭教師。一気飲み、というよりグラスを空にしない病に罹っているかのよう。しかし一方で、ストローの刺さった紙パック豆乳は少しずつ飲む。

■担任の先生
・進路相談をする担任の先生も生徒に無関心に思える。なぜここまで突き放すように言うのか。

■クラスメイト
・所々明らかに作り物のセットが現れる。
・クラスメイトの美栄子の家は、構造が全く不明。
 家の中にエレベーターがある?裕福な家庭。

■その他
・殴る音のSEがかなりチープで現実世界へと引き戻される。
・昼休み、女性教師が林檎を剥いている。家庭教師の彼女も林檎を剥いている。女性はよく林檎を剥く。

■感想
「こういう画を撮りたい」がかなり全面に出ているので、作為的というか、画に関する作家性が強すぎる印象。この時代の常識が分からないのでズレ具合が少し分からず、冗談を認識しずらい。家族とはこうあらねばならないといえような帰属意識を押し付けられたような気もする。ラストシーンはキャシー塚本を連想。

以下引用
■非言語的方法論
例えば松田優作の他者との距離感であったり、食事をするときの音であったり、言葉の発せられる大きさと画像の大きさの不均衡など。そこで生み出された世界は、リアルでありながら、まるで非現実な光景。つまり、この映画を見た観客が、不協和や不整合や非日常を受け取り、この映像の集積に対して混乱を生じるという事実こそが、この作品の語る「ゲームとしての家族」の姿の異様さを、観客に伝え得たという証拠だった。

■食事シーン
この家族の食事シーンはいつもみんな夢中になって食っている。食うことは生きることに直結しているが、食欲本能をむき出しにして食っているという感じ。 それは自分が生きることに夢中ということで、自分のことしか考えていないというのを端的に表している。それはラストシーンのお祝いの食事でも同様。その愚を見透かし家庭教師はやりたい放題するが、家族は自分のことに夢中で気にも留めない。最後にやっと気に留めて家庭教師に怒りだし、家庭教師が家族一人一人に鉄拳制裁を加え、身勝手の場である横長テーブルの上のものを全部落として立ち去った。

■音を立てる
冒頭からの飲み食いの音だけでなく
・家庭教師は一気飲みをする
・父親は黄身だけを吸う
・ドアの開け閉め、歩くなどの生活音 など
あえて音を立て印象づかせることで、不快で、イラついたりピリピリする感じを出していた。
BGMも一切流さず、レコードの音すら流れない徹底ぶり。

→自分のことだけで相手をちゃんと見ていない、それが学歴だけで人を見て中身を見ていないという学歴偏重にも繋がっている。

■ラストシーンに関する解釈
父親が言っていたバット殺人が思い起こされ(この事件は予備校生が起こしていて、長男は大学進学のことで父親ともめている)、上空をうるさく飛ぶヘリコプターは団地内で家庭内暴力による殺人事件でも起きて取材ヘリが飛んでいるのかという悪い想像ができ、この家族の長男進学時を暗示しているようにも思える。(ヘリの音が長男の空手部見学シーンとかぶっていて、これ以外に長男が空手をやり始める意味が見い出せない)
引用元
https://www.google.co.jp/amp/s/www.reviewanrose.tokyo/article/438366775.html%3famp=1

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12156915402
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