カラン

家族ゲームのカランのレビュー・感想・評価

家族ゲーム(1983年製作の映画)
4.5
中央区か江東区の沿岸部にある団地。沼田家の長男は進学校の高校1年。次男は中3で、高校受験があるが成績は悪い。勉強ができないのではなく、嫌いなだけだと言い訳してる。母は善良な主婦で、子供たちのことは家父長の望むようにしないと叱られるが、子供のことを分かっていると思っているが、根源的に無知。父は俺が1番分かっていると思っているが、20年ほど連れ添っている妻は柔らかく無理解。

☆横並びの食卓①

「最後の晩餐」の絵のように、終盤、高校合格のお祝いで4人家族と家庭教師が食事をする。結集と破裂を1度に実現する、日本映画史上でも有名なシーンである。映画は最初から異様な距離感で人物を関係づけていく。家庭教師はビンタして、コブラツイストをかけ、ブリーフ姿の少年の腰に手を置いて添い寝する。フレームの中に人物たちを徹底的に結集させる。団地内の部屋で人物たちに物理的な隔たりはない。どこにも逃げ場はないほどに接近しているので、圧力を下げるような描写は一切しない。

☆ガラス板

家庭教師の隣で次男がガラス板に顔を打ちつけるショットがある。ガラス板は映画内の現実には存在しない。しかし狭い室内でらローアングルで接写するために、彼の机をガラス板に変えて撮影しているのである。顔がガラス板にぶつかれば皮脂が映る。森田芳光がやろうとしているのは、超現実的な圧迫を映像にすることで、鑑賞者にもう無理っと、沼田家の密度を体感させることなのである。

☆車

部屋のガス圧を下げないために、部屋の外に出るならば、コブラツイストで絡み合うか、車の中に入る。停車した車内でご丁寧に煙草に火をつけて、煙の充満も映し出す。断固としてガス圧を下げてはならないのである。

☆ロングショット

今はもうないガスタンクが無数に映し出されるのも偶然ではないが、屋外はロングショットで行く。教室の窓から見た都内の学校のせせこましい人工芝の校庭や、ススキの枯れ野、そして海から見た団地。これらは団地空間のガス圧の高さを描写するためのエスタブリッシングショットなのである。前田米造のショットは見事で、シーンを屋内に戻して欲しくないと感じさせるのに十分な出来栄えであるが、それこそが狙いのロングショットである。

☆横並びの食卓②

近接ショットとロングショットを組み合わせながら、徹底的に近さを描いて、映画は最後の晩餐的横並びショットに向かう。右にいる兄弟が揉めている。左端の母は、マイペースに食べている。中央で家庭教師が壮絶にマヨネーズをぶちまけて、父が狼狽えている。全てを一望しているフレーム内で左端と右端が完全に断絶している。母は最後の晩餐の世話をしながら食事をしているが、何が進行しているのか分かっていない。誰も分かっていないし、分かっていないことを分かっていない。

この最後の晩餐ショットは結集に結集を重ねて、柔らかい塊を作り上げたのだと思う。柔らかいからひび割れも入らない、家庭という名の島宇宙。

この後、ヘリのプロペラの音が接近してきて不穏さを煽りながら、部屋で寝そべった子供たちを見て、母は自分もうたた寝する。

☆完璧な

物凄い作り込みで、隙がない。この映画が描いているような家庭、一切の外部を飲み込むが、改善や向上はない、どこにでもいそうで、素知らぬ顔で何も分かっておらず、その認識もない、恐るべき家族が、この現代の日本社会にも少なからず存在している。哲学や社会学、心理学的な言及なしに、正真正銘の無知の知を正確に描いている。

長渕剛が昔テレビドラマ版をやって、ずいぶん再放送で繰り返されていた気がする。好きか?ならば、好きではない。だが1つの映画的主張を絞り出そうとする壮絶な厳密さは理解できるつもりだ。ハル・アシュビーの『ハロルドとモード』(1971)を思い出す。繰り返すが、好きではないが、凄い映画だ。



レンタルDVD。画質良し。2chの音質も悪くない。
カラン

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