タケル

家族ゲームのタケルのレビュー・感想・評価

家族ゲーム(1983年製作の映画)
4.5
淡々と物語が流れていくが、いつ何が起きるか分からない緊張感が常に伴っており、不思議な映画体験ができた。まさに、いつ頬を叩かれるか分からず過剰に身構えてしまう茂之と一体化したかのような気分だった。

面白い描写は多々見つけられた。まず、この家族は横一列に並んで食事をとる。視線が交錯することはなく、各々が目の前の"エサ"にひたすらかぶりつく。この光景が、同じ空間にいながらもそれぞれ閉じこもっている家族の本質を表している。

発言の中で特に面白かったのは、息子たちに教育をつけなければならないため、夫や自分が犠牲になっているという母親の"本音"だ。だが、一方の息子たちは親からの重圧を受け嫌々ながら勉強している。親から課される「努力義務」をまるで兄弟間で分配しあっているかのような発言・描写が興味深かった。そして、難関校への入学を絶対視する父も、その根拠は全く示していない。ここには何の目的意識も価値観も存在しない。ただ空虚な言葉に動かされる「家族」と呼ばれるバラバラな人間たちが行き交っているだけだ。

家庭教師の吉本は、空虚な「家庭」の中でその色に染まるわけでもなく、反発するわけでもなく、異質な存在として浮遊し続けていた。だが、その吉本がラストシーンで豹変する。横並びの食卓を破壊し、窮屈な家を後にするのだ。

タイトルの「家族ゲーム」は、形式的に「家族」らしく振る舞う彼らの姿勢が、まるでゲームをしているかのようだという意味だろうか。だとしたら、このゲームにおいて彼らは"優等生"ではない。むしろ破綻寸前の危機にあると言える。
そして、この欺瞞に満ちたゲームを、異界からの侵入者である吉本が破壊していったということだろうか。この家族はおそらく、逸脱事例ではない。どの家族も持ち得る"嘘臭さ"や"作り物らしさ"が描かれていたのだと思う。

胸を打たれることもなく、気分が晴れ晴れすることもなく過ぎていった100分だったが、私はこの映画が好きだ。押し付けがましくない独特な作為性が輝く作品であった。
タケル

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