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窮鼠はチーズの夢を見るのtsuraのレビュー・感想・評価

窮鼠はチーズの夢を見る(2020年製作の映画)
4.0
映画を見終えたその日の夜。私は買ったパンフレットを少しばかりそのページをめくることにした。


先ず美しい装丁のそのパンフレットに微かながら作品の画達が蘇り淡い想いを抱いたが表紙を捲るなり、心が一気に揺れ動いた。

" 好きで好きで苦しくて、好き "

私には遂に成就出来ずに消化不良を起こしていた想いが映画の中では紡がれており、その切なさと痛みに心は、もう限界だった。

だけど、今の私にはその涙は流す事が出来ない。 だから唇に血が滲むくらいに堪え今にも張り裂けんばかりの感情を押し殺した。


恭一の後輩、今ヶ瀬が零した言葉

「心底惚れるって、すべてにおいてその人だけが例外になっちゃう、ってことなんですかね。」


この言葉に尽きる。

どうしようもないくらいに抗えない心からの欲求。

私にはある。

そしてこの映画と同様、私にもどうしても、どうしても心もカラダも全てを奪い、奪われてしまいたいと、やや破滅的な欲望にも近い言い方だがしかしながら純然たる恋慕があった。

だけど映画の彼等みたいにコトはそう上手く運ばない。(運べない)その一方通行の想いに我が身を焼いた。

だが映画は2人の対象を描いていたが、私には恭一の様な受け身の恋愛の立場にいた事も事実で、その過ぎる自己愛(相手不在)に稚拙な自分にも向き合っていた様だった。


自身の話ばかりになったけれど、映画は凄く良くできていたと思う。

2人は確かに話の軸ではあるが、恭一の周囲の関係性(出てくる女性があまりにも不本意な気もしたが)を炙りながら、2人の距離感や彼等の恋愛をフォーカスしていくストーリーの構成は非常に巧みであったと思う。

思い返せば行定勲監督の作品て随分とご無沙汰で大好きな神木隆之介主演の「遠くの空に消えた」以来であった。

私には当時感じれなかったがこの作品は凄く洗練されていて画の作り方は好きだったので、彼の作品を少しばかり追いかけたくもなった。

また役者陣も個々に光っていたが成田凌の演技力には脱帽した。
私が彼の作品を見たのは「愛がなんだ」以来だが、今作では今ヶ瀬を成りきっていたというより、そもそも成田凌自身がゲイではないのかな?と思ってしまいたくなるくらい自然だったからだ。

映画の後半のサスペンスとも比喩したくなるくらいにスリリングな描き方も好きだった。
特に吉田志織演じるたまきが帰宅したのちに2人が落ち合う展開は所謂BLマンガや小説にもありそうな展開だけど、男性性をありのままにぶつけていて、それはそれでアリだと思ったからだ。

だけどあまりセックスのシーンに対する拘り等持った事は無かったが、彼等が初めて結ばれるシーンにはかなりの違和感があった。
何故なら立場が逆だと感じたからだ。
そう、タチとネコの関係。
でもそれは恭一が今ヶ瀬を許した瞬間で、今ヶ瀬はがその全てを包容するには立場逆転しかなかったのだ。(彼等の辿ってきた関係だけで言えばそのままタチは恭一で、ウケは今ヶ瀬になる筈たから)だからこそ彼等がある種独特の距離感で情痴に転がった時のセックスは本当の立場で向き合っていて彼等の距離感がこんな所で見え隠れするからなんとも皮肉めいてる笑


だけど彼等はなんというか、どっかストレート目線なBLだった。(後半のドライブとかまさにそう。)原作未読だからそう言ったシーンあるのかもしれないけど、なんていうかサマになり過ぎていてキザというか。もっと彼等の歪で繊細な関係性を何故もっと構築して奔放でありながら雄大に見せきれなかったか。その辺は惜しい。

最後にまた映画からかけ離れた言葉を置いていくけれど。

今、盛んに話題にもなっているマイノリティを演じるのはマジョリティが模倣せず(それが強いては本来の彼等の仕事さえ奪っていないかという意味で)マイノリティが演じるべきだと論じられているが、日本ではまだまだその議題のステージに上がれない位、カミングアウトは難しい。どうかしてその辺の温度差が氷解して欲しいのだが、人の価値観って中々アップデートされないから苦しい。

でもいつも思う。

そんなに人を愛する事って、窮屈で決められた檻にいないとダメなの?

誰を愛そうと愛されようと、自分が何かのセクシュアリティにカテゴライズしないとダメなんて世の中、早く無くなれ。
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