蛇らい

フォードvsフェラーリの蛇らいのレビュー・感想・評価

フォードvsフェラーリ(2019年製作の映画)
4.6
今年の映画初めは景気よくこの一本。

映画好きがそれぞれ持っているであろう趣味趣向が、全くもって通用しなくなるほど感覚的でセンセーショナルな作品だった。映画としての位置づけや傾向、批評軸に当てはめようとする前に圧倒的なディテールが感覚機能を超えてゆく。

やはり特筆すべき点はレースシーン。体の一部かのように感覚的なシフトチェンジと加減速。それらをより魅力的に見せるカッティングとカメラワーク。劇場中を包み込むような轟くエンジン音、地面とタイヤの摩擦音。全編実体で勝負したカーアクションが興奮と同時に死への恐怖をもかりたてる。果てしなく感覚的だ。

印象的ななコミュニケーションのシーン、例えば妻と揉めるシーンやフォード二世を説得しようとするシーンも徹底して車が使われている。感情を剥き出しにするときには乱暴な運転、説きたいときにはわざとGをかけ体に訴えかける運転というように、ドライビングの様が心情を可視化したり、コミュニケーションツールとしての役割を果たりする。とても愛らしい表現のしかたに感銘を受けた。

社運がどうとかビジネスがどうとか関係なく、一台の車に託したそれぞれの思いを象徴的に描いている点は割と重要なことではないだろうか。車は売り手からすれば商品という側面が大きく、売れなければ意味がないという利益至上主義があるのも当然。しかし、たとえ売り物が前提にあるものでも、パーソナルな思考や感覚が乗っかっているもの方が価値があり、世の中を面白くするのではないかとも思わされる。

それは映画産業も然りで、特に日本の映画業界ではそれが如実に表れている。興業が全てであるかのようなキャスティング(監督や脚本家を含む)と企画。芸能事務所やテレビ局、スポンサーへの忖度。作品としての本質をそっちのけで展開されるプロモーション(ポスター、予告映像、キービジュアル、稚拙な売り文句、アイデンティティが欠如した映画賞と映画祭)そこから生まれるものって何なのかと考えると危機感が募る。

そういった意味でもシェルビーとケンが劇中で体現したのは、創作や表現の正しさである。もっともっと個人的な思考や趣味が必要だとアツいカタルシスとともに語られている。その点を語る映画はとても珍しいし、根深い問題として現実に存在している証拠だ。

演技面でもポイント、ポイントで好きなシーンが目白押しだった。フォード二世の泣きと嗚咽は言うまでもなく、ドアが閉まんねえ!と焦るクルーにハンマーで一発ぶん殴って直すベテランクルーのシーンとか、謝罪してきたマット・デイモンに対して口をへの字に曲げてふーん?みたいなおとぼけフェイスを見せるクリスチャン・ベイルも最高だった。

今年のベスト作品TOP5には入ってくるであろう映画。死ぬほどよかったです。
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