初見では銃撃戦がぬるいなと思っていたが、オリジナル版を観て、引き気味のワンショットに鈍く光るマズルフラッシュに意味を見出せた。しかし、戦闘における主人公2人の鈍臭さに、最後までサバイブするリアリティを>>続きを読む
セルフリメイク版はかなりオリジンを踏襲していたんだなと思った。そういう意味では、自身の過去の仕事にしっかり誇りを持っていて、今のタイミングで本作にアクセスしたとしても、普遍的な面白さを保証してくれてい>>続きを読む
ファーストショットが真っ暗闇のスクリーンセーバーから始まるのが、かなり挑発的であった。観客はこの映画に被写体が映し出されるまで、何も見えていないという揶揄であろうか。
劇中で起こっている出来事はドラ>>続きを読む
新しいテクノロジーへの恐怖感を題材にするのは、現代におけるAIを扱った作品へ継承されている。そこからポストアポカリプスへ飛躍するのには面食らった。
『Mank/マンク』『ザ・キラー』のフィンチャー組カメラマン、エリック・メッサーシュミットであるのに、のっぺりとしたショットが目立つ。
ペネロペ・クルスの精神的、肉体的にも疲弊し、何かを諦めた演技が>>続きを読む
エポックメイキング過ぎる銃撃戦は、部屋のモニターの前でさえ眼福。静まり返ったビル街の銃弾が飛び交う音は、しっかりと反響と残響を纏っている。
『レ・ミゼラブル』から時が経ち、より複合的な問題点が浮かび上がる。
現状への怒りだけでは、物事は前進しないと強く悟った地に足の付いた語り口が、時代の動きと監督の人間的な部分での変化が見受けられる。暴>>続きを読む
1人の人間が誰かに与えられる、与えてしまう影響についての逡巡と、考えているほど誰かの人生には自分は入り込めない寂しさをも射程に捉えている。
幾多ある選択のうち、どの選択をしたとしても、人はあるべき場>>続きを読む
ポストアポカリプスとしての参照として、監督と撮影監督が意識したという『トゥモロー・ワールド』の選択の正しさに頷く。
監督の長編デビュー作『PIG ピッグ』で見せた、ジャンル映画を解体してリビルドする>>続きを読む
抑えられたグレーディングと、意図してか偶然か自然光が際立つ映像が美しい。よくある量産される復讐ものとは違う趣のある作品で、オリジナリティのあるものを作ろうという意識が伺える。
チャレンジングなカメラワークのショットが多々あって見応えはあるが、忙しなさは否めない。ドローン兵器をドローンで追っかけて撮影するアイデアは笑った。
頼りなさそうなティーンだった頃のレジーからの今回の>>続きを読む
ストーリーへの求心力こそある程度感じられたものの、そこから何かしらの発見や興奮へ繋がる要素が感じられないままエンドクレジットへ。
禁足地に足を踏み入れてしまったまではいいが、その地の独自の妙なルール>>続きを読む
叶わない夢という事象を魔法という便利な道具ひとつで容易に可視化、簡略化してしまう脚本は感心しない。
パントマイムのシーンとラストシーンが視覚的には最も印象的。ただその間が単調で退屈。
ジョージ・ミラーのマッドマックスサーガを死ぬまでにあとどれほど観られるのだろうと思うと、映画産業の寿命すら連想してしまう。それだけ映画としての生命力を感じる作品だった。
フュリオサは故郷へ帰ろうとす>>続きを読む
人との間にある、時間と場所についての考え方が自分の中にあるものと合致しすぎて納得しっぱなしだった。
「20年ほど前あなたの元にあの子を置いてきた」というセリフは、一緒に過ごした場所から過ぎ去れるのは>>続きを読む
学校内というワンシチュエーションで描いているが、一切中弛みなく次から次へと不穏さが押し寄せる脚本が見事だった。視点の誘導が巧みなカメラワークと編集で没入感も増している。
段々と歯車が噛み合わなくなる>>続きを読む
これは思わぬ拾い物をした。社会問題を扱った作品でありながらユーモアに長けていて、抜けも良い。
女性が中絶する時の不安な心情が繊細に描かれている。手の震えや言葉遣い、天井のひび割れを見つめる視点のカメ>>続きを読む
無名のティーンがエルヴィスと付き合えてしまったある種の呪いが描かれるのかと思いきや、エルヴィスとの出会いから別れしか描かれず、その後のプリシラの人生にどう影響していったのかは藪の中。
エルヴィスクラ>>続きを読む
何度目かの。
序盤でヤックルの性格まで説明しきる手際の良さや、蒸気、雲、霧の描写の神々しさが圧巻。呪われた右腕がエボシを殺そうと蕨手刀に手を伸ばすまでの一連の流れが素晴らしい。
喫煙所で1人になって思考を逡巡させているところにライターを貸して欲しいとねだられたり、ビラ配りの最中にビラの内容も確認せず何度も同じ質問をしてくる老人などの描写は、生活の上に娘が失踪しているという逃れ>>続きを読む
監督、作風が変化しても当たり前かのように面白い猿の惑星シリーズのフランチャイズとしてのポテンシャルは凄まじい。シーザーという看板を失ってもなお、分厚いレイヤーのあるストーリーテリングで観客を魅了し続け>>続きを読む
誰かが歌う『風をあつめて』が漏れ聞こえるカラオケの廊下で、タバコを吸うスカヨハのショットがあったらそりゃ勝ちだわ。
倫理観から一歩離れたところに美しさを感じる成り立ちに、公開時には感じなかったであろう現在へのカウンターすら感じた。
何も感じ取れていない役としてのサム・ニール、狡猾でありながらも主人公との距離を縮め>>続きを読む
犯人たちがそこまで凶悪かと言われればそうでもないように感じる。公開時より時間が経過した現実が嫌になる。
意味深なファーストショットから何も飛躍することなく、水に濡れる、泣き叫ぶ、もの思い更けるなどという凡庸な演出で時間が経過する。
過激な性的なシーンから何も物語に接続してこず、事件がなくとも成立する2>>続きを読む
残虐シーンのディテールの細やかさが際立つ。本来、どうでもいいようなキャスティングと企画であろう受け仕事ではあるが、監督の手腕で映画的な画作りに。
何度目かの。
苦痛と快楽のカットバックにはさすがに痺れた。本作での森田剛の怪演が『検察側の罪人』の二宮和也へ接続していくわけか。
言葉を放棄することの愚かさを直接的な感性へのダメージで訴えかけてくるタチの悪さは、良くも悪くも有効だ。他人と関わる時のストレスを事細かに提示し、そのストレスがいつのまにかスリリングへと変遷していく気持>>続きを読む
何度目かの。
『クローバーフィールド/HAKAISHA』のルックを継承し、銃社会や他国間との戦争の構図を落とし込む重厚なストーリーテリングだ。
何度目かの。
こんなにも洗練されたショットを連発するような映画だったかと改めて驚かされた。『囚われた国家』以降撮れていないルパート・ワイアットにもっと映画を撮らされてやってくれ。
森で猿を網や仕掛>>続きを読む
当時の技術では猿を思い通りに動かすことができなかったため生まれた、スーツアクターによる猿の演技が功を奏して凄まじく恐ろしい。
中盤、捕まって逃げ出す、対話するまた逃げ出すという見飽きる構成の難はある>>続きを読む
実景があまりにも少なく、ほぼアニメーション作品を観ている感覚と齟齬はない。物語を紡ぐという映画の醍醐味をはなから放棄し、視覚的なカタルシスへ全振りしたという意味では、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ム>>続きを読む
人が人を裁くという行為について、現代的な解釈を織り込み、容赦ない法廷劇で畳み掛ける。親と子の相入れなさが裁判という社会の枠組みの中で浮かび上がる。しかし、難ありな作品でもある。
明らかに子がとてつも>>続きを読む