nayanabudbuda

ピアッシングのnayanabudbudaのレビュー・感想・評価

ピアッシング(2018年製作の映画)
3.0
「一日一本映画を観る」一日目です。殺そうとする者と、自傷する者(自らによって自らの死を望む者)との間で奇妙にすれ違い、すり合わせ、共鳴する、その寄せては返す波のようなリズムが素敵でした。ミア·ワシコウスカの瞳の揺らぎが美しかったです。
しかしながら、最後の最後、印象的なシーンであるはずのピアッシングシーンで興ざめしてしまいました。そのようなわけで星をちょうど半分にしたのです。というのも、使われているのがピアッシングニードルではないうえ、そのニードルともつかぬニードルをピアスを入れる前に一旦抜いてしまったからです。これでは、ピアスを入れる際に相当の苦痛が伴うし、安全な方法とは思えません。それも彼女の死への焦がれのうちというならそうなのかもしれませんが、少なくとも原作はピアッシングスタジオに取材した上で書かれています。千秋もそのスタジオに行ったことがあるという設定で、小説の中ではかなり正しいピアッシングが行われているのです。僕が『ピアッシング』を読んでいる限り、千秋はピアッシング(いや、彼女のおもう「美しい」もの)に対しては特に強い思い入れ、矜持を持っていたように感じるので、こんなふうにピアッシングするとはとても思えないのです。強いてそこを変える必要はなかったのではないかと思います。原作を読んでから映画を観た自分にとってはこの改変(?)は非常に余計に思えました。でもどうなのでしょう。僕がピアッシングに対してピアッシングと関係なく生きている人に比べたら情熱を持ちすぎているからこそ、このシーンにこだわってしまうのだとは思いますが、だからといって、このシーンは単に身体に対して穿孔し、ピアスを入れるというシーンではなく、彼女が「今日の記念」にいつかもう片方に入れるはずだった(映画版でははじめてのピアッシングに見えましたが)ピアスを今日の今日、いれるというシーンなのです。というわけでもう少し大事そうに描かれていたら良かったなと思いました。

原作が好きで映画を観たのですが、個人的にはジャッキー(千秋)の部屋がどう再現されるのかを楽しみにしていました。彼女のときに醒め、ときに病みきった神経によって構築される部屋、それがどのようなものなのか、映像で観てみたかったので。部屋がかなり広かったことが印象的でした。僕の頭の中では、千秋はこぢんまりとした部屋の中に神経質にそして限りなく美しくものを敷き詰めていました。まあ、それはただの僕の想像の中の風景なのですが、やはり広いアメリカで撮られたからでしょうか、普通にだだっ広い部屋が登場するのでびっくりしてしまいました。

付け加えて、音楽がすごく良かったです。
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