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グレース・オブ・ゴッド 告発の時のtsuraのレビュー・感想・評価

3.8
オンライン試写会にて鑑賞致しました👀

オゾン監督の毒々しさは薄まっていたか。映画の題材を考えると幾らでも表現出来たけどテーマがブレてしまうとこの作品が訴えたいところから乖離してしまう。
しかし監督の独特のヒリついた感触は相変わらず健在で本作も集中力を伴う映画の展開になっており見応えはたっぷりでした。

先般もニュースにはなっていたが、まさに未だ渦中にある問題、プレナ神父事件。

ただこの事件、つまり30年以上に及ぶ神父の少年たちへの性虐待に勿論切り込むと言うよりは被害を受け破壊された夫々の人生が再び寧日を獲得するための闘争を面白いやり取りで作品にされている。

冒頭から会話やメール、電話といったツールでストーリーを進ませている点だ。

謝罪と教会の変革を訴える一通の手紙が様々な人の人生に新たな起伏を産むその流れを明確なストーリーで見せずして事件の問題を拡張させていく展開はある種、不思議な感覚を覚えた。
かといって観客を置いてけぼりにしないのは、流石オゾン監督で告発に尽力したアレクサンドルやフランソワ、エマニュエルの人生の苦悩や怒りが上手く表現(脱線しない程度にパート分け)されているからだと思う。
この監督の作品はいずれも人の真理を付くようなヒリついた攻めの演出を持つが、今回のオゾン監督はあまり過剰に描ききらず心の奥底を掬い取っている様に思えた。

前作「二重螺旋の恋人」と同じ監督とは思えないこの質感。
こんな飴と鞭を上手く使われるとまた彼の作品を追いたくなってしまった。



それにしてもこの事件に深く横たわる問題には言葉を失う。
何十年と時間が経過しても尚、虐待のトラウマに苦しむ人生は想像を絶する。

その痛みや悲しみを、信仰への不安や想いと織り交ぜながら告発する力に変えていく。その葛藤とそれに切り替える勇気は並々ならぬものだ。

人生を破壊した性的虐待という暴力の恐ろしさ。
ペドロ・アルモドバル「バッド・エデュケーション」でも声楽隊の少年の聖なる美しさが性なる美しさへ見方が化ける怖さ、そしてその事件が少年の心奥深くに刺さりそのトラウマが後のサスペンスに結びつく事を考えるとその罪の重さは計り知れない。


対して問題に対して立ち向かう人間の力強さ。トーマス・マッカーシー監督「スポットライト」に並ぶように同じ神父の小児性愛虐待がテーマながらその真実を暴く力と人々の勇気の凄さにも感銘する。


これはあくまで私感だが、この神父の事件は勿論許されるわけではないが、彼の心を蝕む問題を上手く解読していかなければこの問題の連鎖は終わらないだろうとも感じた。そして彼へのカウンセリングが上手く出来なければ、これもまた彼等の様な小児性愛者の犯罪は無くならない。

真実を題材にすると言うことがいかにデリケートで難しいのか考えさせられる。
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